常に心に留めておきたいことば、考え方。

企画書の書き方

フレームワーク。日本語で「枠組み」のことである。なにか作業をしたり新しいことをはじめる時には、その分野のフレームワークを知っていると効率的である。言い換えればテンプレートであり、ひな形であり、つまりは過去から積み上げたノウハウから共通部分を抜き出したものである。

私が今いるカイシャに 10 年勤めてきて、この会社の悪い面はあまりにも多すぎるのでここでは割愛するとして、得たものとして述べたいと思う。

もし、自分の子どもがこの内容を理解できる年齢になってしかも本当に理解できるのなら、教えてあげたい(が、きっとそれは無理だから独り言メールにしておこう)。

(QCストーリー)

QC とは、Quality Control クオリティ・コントロールの略で、訳すと「品質管理」である。主に製造業=メーカーが取り組んできた品質改善活動のことであり、海外に広く知れ渡った日本語「カイゼン」はここから来ているともいえる。ゆえに、日本の高度成長の源泉ともいえる。

具体的に何かというと、職場単位でグループ=小さなサークルを作り、どんなに小さなコトでもいいから、職場で問題になっていることを解決するにはどうしたらいいか考える、というものである。3ヶ月~6ヶ月くらいで成果をはかってみる。カイゼン内容は、聞いて驚くが「呼び出し音 3 回以内に電話に出るのにはどうしたらいいか」とか「会議の時間を減らすにはどうしたらいいか」などのテーマから、もっと重いテーマまで様々である。短期間で活動してそのカイゼン効果を狙うので、自ずと小さなテーマとなる。活動した結果はサークル同士で発表しあって、優秀な活動をしたサークルは「全国大会」に出場したりする。

私が勤めている会社は、私が入社した時は当時の社長がこの方法をソフトウェアの世界に持ち込む、として全社をあげて取り組んでいた。

正直言ってこの取り組みはソフトウェアの世界にはあまりなじまなかったと、誰もが考えていたと思うし、今はほとんど QC などというコドバは聞かなくなったので、やはりなじまなかったのだろう。

しかし、私は 「QC ストーリー」 なるものは、ふだん生活する上でも非常に役に立つものではないかと常日頃から思っている。気が付けば何か問題があったら私の頭の中はすぐに QC ストーリーのフレームワークに沿って考えるようになっていた。

  1. テーマの決定(何の問題を解決し、取り組むかテーマを決める)
  2. 現状把握(何が起こっているか現在の状態を把握する。箇条書きにする。)
  3. 要因分析(問題と、その最も重要な原因を追究する)
  4. 対策の立案と実施(対策を考え、活動する)
  5. 効果の確認(一定期間活動した効果を確認する。ここで統計学を使うのが QC の特徴)
  6. 歯止め(ダメ押し)
  7. まとめと今後の課題(反省とやり残したことについて述べる)

たとえば、授業を聴いているのにテストでいい点が取れない、なんていう悩み(上でいうテーマ)にも適用できる。

(企画書の書き方、盛り込む要素)

これは、今まで 10 年会社に勤めてきて、6 年目くらいで当時の課長代理の先輩社員に企画書の作り方を鍛えられたものから学んだことである。

  1. 社内調査(=社内ヒアリングは必須)だし
  2. 他社技術(サービス)との比較は必ずする
  3. サービスイメージがしっかりしていれば文句はでない
  4. サービスイメージを実現するために必要な機能とは何かが洗い出してあって
  5. 実装はどのようにすればよいのかもかければ○(マル)。
  6. 役割分担と
  7. スケジュール(荒いレベルでよい)あたりはお約束的に必要。
  8. 以上が、担当者レベルで用意できればよいと思う。

  9. 予算=要員計画と費用

    は、課長代理レベルだと必須。

このたった 8 つのノウハウは教えてくれる人がいないとなかなか身につかないだろうと思うし、人間とはそもそも自分にとって 「よいこと」 は、人に教えたがらないものだ。

しかしこの 8 つのノウハウを理解した上で盛り込んだ企画書を書けば社内ではだいたいプロジェクトとして通ると思う。

ちなみに企画書はマイクロソフトの 「PowerPoint」 というソフトで書く。昔で言う OHP を PC の世界に持ってきたものと思えばよい。

マイクロソフトオフィスは Word と Excel が有名で、PC を買えばほとんどの場合付いてくる(オフィスパーソナル)が、PowerPoint はオフィスプロフェッショナルじゃないと付いてこない。企画書を書く上でこの 「パワポ」 を使いこなせる、というか、やはり 「絵心」 のある人は強い。システムエンジニアに求められるものとして、技術だけでなくそれをアピールする力だ。マイクロソフトのビルゲイツが世界一のお金持ちになれたのもこのソフトのおかげだ。彼は技術力もあったが、それをアピールする力=マーケティング力に長けていたのだ。悪い言い方をすれば人をだます力だ。

この企画書を作るソフトは、Excel が表計算ソフトと呼ばれるように、一般的には 「プレゼンテーションソフト」 と言う。マイクロソフトは OS 分野においてウィンドウズでかなりのシェアを持っているが、それでも 100% のシェアではない。世の中には Mac OS もあるし、Linux もある。しかしながら実はこのプレゼンソフトの分野で彼らはほぼ独占だと思われる。

前にも書いたかもしれないが、マイクロソフトのマーケティングとは、まだできてもいないソフトを、あたかもできたソフトのように 「プレゼン」 し、コトあるごとに発表してきた。

ソフトの開発スケジュールを 「ロードマップ」 と呼んでいるが、それらロードマップに書かれたスケジュールを彼らが守ってきたことはほとんどなかったはずである(2000 年前までは。最近は心を入れ替えて企業イメージを良くするのに必死になってるように見える)。

たとえば、93、94 年当時ビルゲイツが 96 年にリリースすると豪語していた次期ウィンドウズコードネーム「Cario」は、96 年になっても出てこなかった。それは 4 年遅れの 2000 年になって 「ウィンドウズ 2000」 として発売されたが、結局 Cario の計画とは違ったものになっていた。このように公約をまったく守ったことがないマイクロソフトだが、だから嫌われる、と同時に、なぜか人々はだまされてきたのだ。これは PowerPoint のマジックだ。PowerPoint のきれいなスライドに書かれたまだ企画段階のソフトを誰かが「スライドウェア」と呼んでいるのを以前ウェブでみたことがある。これは本当に言い得て妙だ。

閑話休題、上の 8 つのコツをつかんでから 1998~2003 年の間に私は、モバイル、CRM、ケータイ公式サイト、プレゼンスシステム と、だいたい 1 年くらいおきにほとんど私が企画書を書いて、それらは実際にプロジェクトになってきたから間違いない。

ちなみに一番最初のモバイルのプロジェクトはプロジェクト化したものの実際は私ひとりのプロジェクト=ひとりプロジェクトで予算がつかず、ゼロ円。他の協力してくれる担当からソフトを買ってもらったりしていた。
今は、担当で億単位のお金がついていて、モノが自由に買える(あの iMac までも)ほどになり、思えばずいぶん進歩したな、と思う。

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築城 3年、落城 1日

これを書いたら周囲の 2人から 「どーしたの?」と聞かれた。別に、どうしたわけでもないけど、2000年の雪印牛乳事件のときに、日経に載っていたことばで、ずっと肝に銘じていただけ。

ウェブを探せば、「築城 3年、落城 3日」というのもあるみたいだ。でもきっと現代社会でも落城は 1日だろう。

この投稿と前後してタイミング良く 「野村サッチー」 や 「田代まさし」 の事件も起きた。

しかしこの言葉はもっと奥が深い。人間は生まれるまで母体の中から世の中にでるまで 10ヶ月もかかるのに対して、生まれた後事故などで死んでしまうのは 1秒とかからない。ほんの一瞬である。

  1. 山一證券(会計帳簿の不正処理)
  2. 雪印牛乳→ブランド消滅 (情報の隠蔽)
  3. カネボウ (会計帳簿の不正処理)
  4. 三菱自動車 (情報の隠蔽)
  5. コクドと西武 (株式不正)
  6. ホリエモンとライブドア (株式不正)
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Coming together is a beginning

私が 2000 年にサン・マイクロシステムズにインターンとして働いていたとき、そこのディレクターが以下のような言葉をメールに添えてくた。

+++=+++=+++=+++=+++=+++=+++=+++=+++=+++=+++=+++=+++=+++=+++=+++ "Coming together is a beginning, keeping together is a progess; working together is a success." - Henry Ford +++=+++=+++=+++=+++=+++=+++=+++=+++=+++=+++=+++=+++=+++=+++=+++

これを訳すと

「一緒に集まれれば始まりで、ずっと一緒にいられたら進歩である。そして一緒に働けたらそれは成功である」 

ヘンリー・フォード

ということになるかな。

いい言葉です。

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ゴミ投資家のインターネット投資術

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週末書店でたまたま手にしたこの本、Excel でのポートフォリオの分析のやり方とか載ってそうで、なかなかよさそう。今まで、株式に関する本は、一切読んだことがなかったが、これは買ってみた。そしたら、すごく良い本だった。中身は、まともだがタイトルで損してるような気がする。

大学の統計学やマーケティングの授業で、分散とか、標準偏差とか、回帰直線とかたくさん出てきたが、経済学部は文系だから、授業のほとんどは 「どう計算するのか」 という計算方法に費やされて、実社会に役に立つものではなかった。昔は Lotus 1-2-3 の全盛で、そのためだけの授業もあって、これはこれで良かったんだけど、所詮は操作方法で終わってしまっていた。良くて、1-2-3 にデータを自分で入力して、回帰直線を作るくらいで、それで 1 年が終わってた。

しかしながら時代が変わったのか、この本では難しい計算はすべて Excel にやらせて (昔も、1-2-3 でできたんだが)、実データとして扱う株価データなんかもインターネットから集めて、分析の結果の値がどのような意味をもつのか説明してくれている。

よく考えれば、Σ(シグマ)の意味だけ知っていれば、分散や標準偏差の公式なんて覚えてても、そのあたりはExcel の関数1つであらわすことができるから、計算方法なんて全然覚える必要がなかったのだ。そういうことを再認識させてくれる本だ。

特に、目からウロコだったのが、株価の前日比の標準偏差を取ったものが 「リスク」 であったということ。

なんだ、最初からそう言ってくれればいいのに…株式に興味もってから早 7 年、大学の授業を受けていた時から数えると 10 年目にして初めて

標準偏差(σ) = (投資における)リスク

ということをこの本によって知ったのだった。

ポートフォリオ理論は、学生時代に専攻にしたかったのだが、これを教えてくれる教授は、1 年おきに 「線形計画法」 と 「ポートフォリオ理論」 をやってて、ちょうどわたしが在籍してた頃は、ポートフォリオをやる年に教授が 1 年留学してしまって、私の本当の専攻はマーケティングだったから、線形計画法だけその教授のゼミにもぐらせてもらっていたこともある。

ちなみに、ポートフォリオとは、株式(金融商品)の分散投資のこと。分散投資とは、株を買うときに 1 つの銘柄だけ投資するのではなくて、複数の銘柄を組み合わせることによってリスクを低くして投資すること。

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交渉力を構成する 12 の因子

どんな交渉にも強い人とはどのような人か、ということについてを一般的に捉えたもの。これについては、
日本の交渉学の始祖、ICU 教授の藤田忠先生の著書「燮の交渉力」から「交渉力を構成する 12 の因子」を
引用する。ちなみに「燮」は「やわらぎ」と読む。

  1. 信頼される個性

    交渉は信頼関係の上に成り立っている。この個性は生まれつきのものではない。

  2. 計画力

    交渉では準備あるいは交渉計画が重要である。計画力あるいは準備できる力が必要である。

  3. 商才

    チャンスと思ったら決断をする。商売にならないと思ったら逃げる。人に悪感情を与えずに好機をつかませるセンスが商才である。

  4. 対立に耐える力

    日本人は対立(コンフリクト)に弱い。コンフリクトの上に安住できない。

  5. 高い目標にかける勇気

    高い目標に人生をかける勇気のあるものは大成する。交渉も同じである。

  6. 待つ知恵

    待つことは神の知恵なのである。忍の一字で待つこと。

  7. 相手に心を開く力

    当方が心を開けば相手も開く。開かれた心でなければ、交渉は成立しない。

  8. 洞察力

    人を見る目。偉大な人物は一目で相手を見ぬく。こういう人にかかっては仮面をかぶっても役に立たない。

  9. 自信

    自分を説得できないから自身がないのである。自分を説得できない者が他人を説得できるはずがない。

  10. 安定感のある人

    誰にでも愛されたいと思う人には安定感がない。八方美人がこれに当たる。安定感のある人でなければ交渉力はもてない。

  11. 隣人愛

    自分ばかりよくなればよいという自愛の人は交渉に向かない。隣人愛が必要。

  12. 誠実
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「何もしない」という選択肢

1991〜1992年のことだから、もう随分昔のことだが、学生時代、経営分析の授業が好きだった。ここで上妻教授は、いろいろなことを教えてくれた。たとえば、「教授自身は、セガの株を持っている」、「ロートの子会社、小野薬品工業が良い」 など、株に関することも教えてくれた。エコノ研のポートフォリオにこれらの株が組み入れられているのも(しかも、株価が下がって売るに売れずにそのままホールドしているのも)、この教授の影響である。

また、グリコ森永事件で、森永は多大な被害を被ったが、それを救ったのはファストフードの 「森永 LOVE」 だったとかという雑学的なこと、そして、経営においては、常に 「守る」 「攻める」 だけでなく、「何もしない選択肢」 もありうる、と言っていた。これは株式投資においても考慮すべき点だと思っている。常に、売り買いするのではなくて、「今はあえて何もしない」 と、意識的に 「何もしない」 ことを選択肢に選ぶのである。

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日本人であるために。(2)

日本人は、もっともっと外国人に対して誇りを持つべきだと思う。日本人が、外国人とビジネスをしたりコミュニケーションを図るために必要なことはなんだろうか?

私は、以下の2つに集約されると思う。

  • 日本人としてのプライドを持つこと。
  • 英語に関しては自信を持つこと。

日本人としてのプライドを持つことの手始めは、自分の国の歴史や文化をもっと深く知ることだと思う。

「まずは相手の国の歴史や文化を知ること」 と答える人もいると思うが、私の意見は逆である。確かに、「郷に入っては郷に従え」のことわざの通り、相手の国の文化やマナーなどを知ることは大切である。外国のちょっとした文化を知らなかったがために、命取りになることだってあるだろう。しかし、相手のことをいくら深く知ろうと思っても、それを知るには本やインターネットに情報があふれているから、実はそれ以上は実際に相手とのコミュニケーションの中で学んでいくしかなくなる。それよりも私は、お互いの文化を教えあった方が良いと思うのだ。「私の国ではこうですが、あなたの国ではこのような場合どうしますか?」 これでいいじゃないか。日本人は、良く言えばサービス精神が旺盛な国民性ので、相手のことを事前に丹念に調べてから臨もうとする。しかし、自分の国のことも知らないで、逆に相手から「日本の文化では、○○ですよね?」なんて言われて、外国人の方がよく知っていた、なんてことになる方が恥ずかしいのではないだろうか。

私の経験から言うと、外国人は日本の観光地として京都を訪れることになっているので(<?)、結構、日本の古い歴史なんかには (というか、京都を) 知っている場合が多い。私自身も京都には 2 回しか行ったことがないし、日本の文化にはだいぶ背を向けて生きてきたので、外国人に日本の文化のことを言われてちょっと焦ることが今までにあったように思う。そんなことがないように、特に日本の歴史は大切だと感じている。

日本は単一民族で 2000 年以上の歴史を持つ世界にも異色な国なのだ。島国ということもあって他の民族に一度も侵略されたことがなく、今日にいたっている。侵略されたことはないが、漢字を筆頭に外国の文化をうまい具合に自分の文化に吸収できる日本人。そして、現在、最先端の技術を持つ日本。まずはそのことに誇りを持ちたいと思う。

去年の夏、インド人と昼飯を食っていて、何を話せば良いかと話題に困った。インドのことはいろいろ質問したし、今度は自分たちのことを話す番だとそのとき思った。相手のインド人は日本に来たことがないから、日本がどのような国か見当もつかないだろう。そこで、日本の時事問題に触れた。たとえば、そこで思いついたのが日本のバブル崩壊後の不況、高齢化社会、臓器移植、クローン牛についての話題であった。(SONYの VAIO ノート (薄いやつ) はすでに打ち合わせのときに見せていたので昼飯では話さなかった)。このうち、インド人相手に話していて痛感したことはやはり自分は日本についてよく知らないんだ、ということだった。確かに、インドにいながら臓器移植やクローン技術など最先端の技術なんかを話しているときは、自分で話しながらも日本ってすごい国だな、なんて思ってしまうのだが、それよりももっと大切なこと、すなわち、それら技術が生まれてきたり支えてきた日本の歴史とか文化についての見識が薄いことに気づいたのだった (ちなみにクローン牛に至っては私の英語力のなさからか相手は理解できなかったようだ。プログラム開発の仕事でもクローンってでてくるでしょ、って言ったのに…)。

日本には、技術よりも、もっと伝統的なこと、長い歴史のなかで経験したもっと深いものがあるはずで、そういうことももっとよく知らなければならないと感じた。

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日本人であるために。(1)

今からもう 23 年も前の話になるが、私が 7 歳 (小学 1 年生) のとき、父親と母親に連れられて佐渡島に旅行に行った。新潟から佐渡に渡るフェリーの中で、自分の名前をローマ字で刻印する記念メダルの機械をみつけた。そのメダルが欲しいとオヤジにせがんだ。そして、出来てきたメダルには、

YASUHIKO AOI

と打たれていた。当時のアオイヤスヒコ少年は、小学校 1 年生ですでにローマ字が読めたらしい。これを見た彼はオヤジに激怒。というか、泣き叫んだ。 「ボクはヤスヒコアオイなんかじゃなーーい、アオイヤスヒコだ!!」 とダダをこねたのだった (このことは後々大きくなってからも何度も言われたのできっとオヤジもまだ覚えていると思う)。

そのときオヤジは、ローマ字では 「ヤスヒコアオイ」 が正しいのだ、と彼に言い聞かせた。が、小学校1 年生の彼にそんなことがわかり得るはずもない。そのときはずいぶん、オヤジを困ったことだろう。あの抵抗の仕方は尋常じゃなかったように思う。

その後、少しずつ大きくなるにつれ、ローマ字表記のときは名前が先に来て、姓が後にくる、というのを自然に覚えていったように思う。少なくとも、中学校の授業で英語を習い始めてから、疑いなくローマ字表記は 「YASUHIKO AOI 」 だと信じこんでいた。しかし、あのフェリーの出来事から 23 年後、、、今になってみて、当時のヤスヒコ少年はやはり正しかったのだと思うようになった。日本人なのだから、ローマ字で表記したって 「アオイヤスヒコ」 は 「AOI YASUHIKO」 なのだ。思い起こせば、私が中学・高校と 6 年間英語の授業を受けてきて、ずっと疑いなく 「YASUHIKO AOI」 が正しいと思っていた、っていうかついこの間まで、それを信じて疑わなかったのだ。

6 年間の英語の授業の中では、何人かの英語教師に出会った。高校3 年生のときだったか、隅谷という教師がいて(ちょっとお気に入りの先生だった)、この先生はニュージーランドにしばらくの間いたことがあるらしく、授業中にしばしば (英語を話す) 外国人に名前を名乗るときは、姓、名の順でいいんだと言っていた。このときは、私も外国人と接したことがなく、この教師は何を言っているのだろう?と、彼の言う話自体が信じられなかった。しかしながらとにかく、日本人がローマ字で名乗るときは姓+名で良いのだ、と思えるようになったのは、何を隠そう去年の秋からである。そのことが正しいように思うようになったのは、いくつかの理由がある。

まず第 1 に衝撃を受けたのは、いつの号だったか忘れたが、雑誌 SAPIO の記事だった。 「日本人なら姓+名で名乗れば良い。わざわざ、英語流に名+姓で名乗る必要はない。世界に誇る日本の文豪夏目漱石は、海外では SOUSEKI NATSUME にはならない。夏目漱石はやはり海外でも NATUME SOUSEKI だ」

…このような記事が載っていた。もう、私にとってはまさに目からウロコだった。SAPIO はかなり右よりの雑誌で、ことあるごとに 「日本人としての誇りを持とう」 と言ってくる。SAPIO は隔週発刊だから、その論調を 2 週間に 1 度読んでいると、今は洗脳されて───すなわち SAPIO 流に言うと、逆にサヨクからの洗脳が解けて───そのことが疑いなく叩き込まれてしまっている自分に気づく。しかしながら、これは以下に述べる第 2 の理由と密接な関係がある。

その第 2 の理由とは、インド人と仕事をしていて、だ。

インド人から名刺をもらっても、そして、現在毎日のようにインド人と仕事でメールのやりとりをしていても、相手のメールに書かれているのが名前なのか姓なのか、実は今もわからない(苦笑)。実際には、あらかじめどう呼んだらいいのか会社の同僚や本人から聞いているから、相手をどう呼ぶかなんてことには困らない。しかしもう彼らと仕事をしてから何ヶ月も経っているので、 「実はあなたが名乗っているのは姓なのか名前なのか」 なんて聞くに聞けない。姓か名かわからないのは他にもタイとかアジアの国々にもあてはまる。

第 3 に、日本人はアジアのリーダーを呼ぶときに江沢民とか金正日とかそのままで呼んでいる。

にも関わらず、欧米人に対しては KEIZO OBUCHI とか呼んで欲しいのだろうか。これは、日本人が欧米人の文化に 「合わせた」 ということだろう。ヤツらにわかりやすいように、 「合わせてやっている」 という表現は、どう考えても正しくはないだろう。確かに、日本は戦争に負けたかもしれないがなぜ、欧米人にこびる必要があるのか。先のインド人と仕事をしていて、彼らは私たち日本人を呼ぶときに AOI-san とか、こちらから教えてもいないのに 「さん」 付けで呼んでくれる。きっとどこかで学んだのだろう。インド人と初対面で名刺を私て次回から AOI-san とか呼ばれるとちょっとだけ嬉しい気分になる(というか、いきなり言われると驚く)。

ちなみに今はこちらも相手のことを Dakshin-san とか呼んでいる。私の仕事におけるインド人と日本人両者の間には、こちらがシステムの設計書を書いてインド人にお金を払ってプログラムを書いてもらっている、という関係がある。会社としては、インドの会社はパートナーとみているので決してそんなことはないのだが、実際問題として、やはりお金を払っている側は 「お客さま」 なのだろう。お客さまのことをよく知り、サービスを尽くすというのは当然のことなのかも知れない。

もっと言うと、1998 年に一緒に仕事をしていたテキサス州ダラスにあるベンチャー企業に行ったときも、向こうのメンバーは Yas-san と 「san」 付けだった。今まで仕事をしていて、よく考えてみると Mr. AOI とか呼ばれたことはない。 Mr.で呼ばれるのは、日本人同士で英語の会話をしているときくらいのように思う。最近のアメリカ人は日本の文化を知っているのだ。というか、 「さん」 付けは日本では常識なのだから、経済大国である日本のこれくらいの習慣を外国人が知っていてもおかしくはない。私たちが英語での敬称を Mr. / Ms. というのを知っているのと同じだ。

そして最後に、飛行機に乗っていていると、行き先の入国カードが渡されることがあり、これには、姓+名で書くようになっていることが非常に多い。国際的には、姓+名で表現する場合が多くなっている…とどこかで聞いたこともあるような気がする。

しかしながらそうは言っても、姓+名になる理由を並べてみたところで、何しろパスポートやクレジットカードは名+姓の順である。クレジットカードの表記が名+姓で気に入らないならつくらなければいいだけの話だが (しかし実際には作らないわけにはいかないし、名+姓にしないと作ってくれない)、外務省が発行するパスポートはそうはいかない。おそらく、私たちがインドやアジアの国、すなわち欧米と違って文化がまるで違う国にいったときに名前なのか姓なのかよくわからないように、逆の立場からすれば日本人の姓+名の順番を知らない人も多いはずだ。というか、よほど学のある人と話さない限り普通知らないんじゃないかと思う。

そんなわけでつまるところ、私の結論としては、実は姓+名を全面に主張するのではなくて、 「相手に呼ばれたいように名乗ればよい」 である。名前とは、相手とコミュニケーションを図るための最も基本的な要素だから、それが円滑に行きさえすれば良いように思う。公的な文書に書かれている名前だとしても、相手が日本のことをよほど詳しく知らない限り、どちらが先にきても自分が自分であることを相手に識別させることができればいいのであるからだ。

例えば私に関して言えば、自分のメールアドレスがなぜ yas かと言うと、高校時代までのあだ名が 「ヤス」 だったから…というのもあるが、なにより 「AOI」 は母音が3 つも重なるため、英語のネイティブスピーカーにとって、AOI とは非常に言いづらい言葉だからなのである。っていうか、[oi] などの 2 重母音はあるものの 3 重母音は英語にはないため、基本的にネイティブは 「アオイ」 とそのまま言うことができない。ではどのように発音するかというと、[Ayoi] (アヨ~イ;ヨにアクセント)、もう少しましだと [Awoi] (アゥオ~イ;オにアクセント) なんかになてしまうのである。こちらがいくら 「アオイ」 と発音してみせても、絶対に言うことができないのだ。

これは、ネイティブはトウキョウやキョウトを発音できないのと同じである。彼らには、[kyo] という発音がなため、どうしてもトキヨゥ [tokio / tokiyo] (トにアクセント) またはキヨト [kiyoto] (ヨにアクセント] になってしまう。

だから、yas にしている。yas なら発音できるのだ。インド人も Dear Yas-san, と毎日のようにメールを書いてくる(ただしインド人は、ちゃんとアオイと発音できた…)。

私はこのブログが、メールアドレスの From: の欄に名+姓でローマ字表記している何人かの人たちに読まれているを知っている。だから今回 「姓+名」 の順番のことを言うのはちょっと気がひけることでもあったのだが、ほとんどの日本人は学校で姓+名でなく名+姓の教育を受けており、常識的にはこちらが広く使われているはずである。

しかし、私の自分の子どもがもしコトバをしゃべれるのなら私はそのようには教育しない。自分のオヤジとは違って、子どもが純粋な気持ちで 「ボクはアオイ○○だ」 「アオイ××だ!」 と主張したら、それは正しいと思うだろう。…そんわけで、このブログは私の独り言と思って勘弁して欲しい。

女性に関しては、結婚すると日本ではフツーは姓が変わるシステムになっているので、なっているので、自分のアイデンティティを表すために名+姓でも良いような気もする。

最後に、もう一度見返して欲しい。記念のメダルに、

YASUHIKO AOI

と打たれていたこと。これは正しいか?それは、今回のテーマであった。私は、自分なりの考えに到達したが、ぜひご自身で判断してみて欲しい。自分たちの後世にはどのように教育すべきなのか考えてみて欲しい。このような細かいことひとつひとつが、日本人が世界から (特に、アメリカから指図を受けずに) 自律していけるかどうかの重要なポイントになると思う。実は、姓+名の順序なんてどちらが正しいかの問題ではないのかも知れないが、何の疑いなく、われわれが受けて来た教育は、現在我が青春を謳歌しているアメリカによるアメリカ崇拝のプロパガンダかも知れないのだ、そして多くの日本人はそのことに気づかなければならないときが来たのかも知れないのだ。

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1 ヴィッツ

私は、まったく新しい貨幣単位を発明した。それは、

1ヴィッツ。

ヴィッツとは、そう、あのトヨタの戦略車で、売れに売れている「ヴィッツ」のことである。ヴィッツは、法定費用を含めるとだいたい 150 万もあればそこそこのグレードのものが買えると思う。そこで、今後は、

1(いち)ヴィッツ≒150 万円

として、単位を定める。

2 ヴィッツ ≒ 300 万円、3 ヴィッツ ≒ 450 万円である。

なぜ 1ヴィッツなんて単位がでてきたかというと、最近のエコノファンドは、1ヴィッツ単位で毎日変動するようになってしまったからである。

2000/01/04、新年の大発会、ご祝儀相場もあってドコモなどは値を飛ばし、、1株 400 万円をつけた。しかし、その後 2~3日は Y2K の被害が予想外に小さかったことからダウや NASDAQ が急落、日経平均もそれにつられる形で大幅に下落した。ドコモに至っては、310万円・・・とか値が下がったと思う。ヴィッツ換算でここ 2~3日の間にエコノファンド全体では X ヴィッツ下げたことになる。

また、もっと身近な単位としては、1焼肉(いちやきにく)≒ 5,000 円を考えた。

生活基本単位は、1 焼肉(とか1飲み会でも良い)とかを基準にする。ああ、5,000 円あったら焼肉行けるのに、、って感じで、別に焼肉にこだわるわけではないが、5,000 円で自分が効用を最大に得られるサービス(またはモノ)を考える。

そしてそれを単位にしてものごとを考えて行く。また 1ヴィッツと1焼肉の間を埋める単位として、1 ハワイというものを作っても良い。1 ハワイ ≒ 30 万円である。3 ハワイ≒ 90 万円で、4 ハワイ≒ 120 万円。

100 万円ピッタリのところがないのが美しい。

ちょっと大きくなると、、

1 ベンツ≒ 1,000 万円≒ 6~7 ヴィッツ。

ここでのポイントは、100 万円など、キリの良い数字ではなく、あえて 150 などという、5 という数字を使っていることである。

この 5 や、3 とかいう数字を基本単位に使うことによって、他人とは違う物差しで価格を見ることになる。なぜ他人と違うかといえば、普通は、1,000 円とか 1万円とか 10万円とか、キリの良い数字を使うからである。

株式投資では、この他人とのズレが大きな役に立つことだろう。市場参加者の心理は例えば日経平均 2万円台、とかそういうキッチリした数字で動いているから、あえてその心理と自分の価値基準をはずすのだ。その方が、群集心理の集大成ともいえるマーケットの数字に惑わされなくて良い。

他にも、普通は、10万円という、キリの良い数字を貯蓄の目標にするだろうが、私が発明した価値尺度によると、貯蓄の目標は 10 万円ではなくて、1ハワイ(あくまでも1ハワイで、およそ 30 万円)である。

「何をまたバカなことを…」 と思われるかもしれないが、私は既成の 10 進数から来る世の価値基準をあえてズラすこの 1ヴィッツ方式を、1999 年最大の自身の発明と思っている。

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