常に心に留めておきたいことば、考え方。

スティーブ・ジョブス氏のスタンフォード大学卒業祝賀スピーチ

  素晴らしい。彼は死に対しても正直に向き合っている。

  以前より私は死に対しては、以下のような考え方を参考にしている。

  ラズマス・ダーウィン(ダーウィンのおじいさん)は、有機体的幸福というのを考えた。

  生き物の幸せは、個体の自己放棄、つまり死ぬことである。むしろ生き物の使命は、死んで他者に道をあけてやることである。

  自由競争であろうが都市間競争であろうが、ナチュラル・セレクションによるサバイバル (生き残り) は、実のところ 「死に残し」 の陰画にすぎない。 《生命》 保険みたいなもので、死んでから得られるので、本人には得られない。この死が残すのは 「隙間(エンプティ・スペース)」 であって、資産でないが(が、有限の食料・資源からの引算を考えれば同じこと)。

  ジョブズも言及しているように、死は誰もに平等に与えられる。決して逃げることはできない。同時に私は誰もがこの世に産まれて与えられた使命があると思う。

  天国に行きたいから死ぬのではない。その死を迎えるまでに、与えられた使命を粛々とこなすのが生だと思う。

アップルコンピュータ創立

CEO のスティーブ・ジョブス氏のスタンフォード大学卒業祝賀スピーチ

PART 1 BIRTH

 ありがとう。世界有数の最高学府を卒業される皆さんと、本日こうして晴れの門出に同席でき大変光栄です。実を言うと私は大学を出たことがないので、これが今までで最も大学卒業に近い経験ということになります。
 本日は皆さんに私自身の人生から得たストーリーを3つ紹介します。それだけです。どうってことないですよね、たった 3 つです。最初の話は、点と点を繋ぐというお話です。

 私はリード大学を半年で退学しました。が、本当にやめてしまうまで 18 ヶ月かそこらはまだ大学に居残って授業を聴講していました。じゃあ、なぜ辞めたんだ?ということになるんですけども、それは私が生まれる前の話に遡ります。

 私の生みの母親は若い未婚の院生で、私のことは生まれたらすぐ養子に出すと決めていました。育ての親は大卒でなくては、そう彼女は固く思い定めていたので、ある弁護士の夫婦が出産と同時に私を養子として引き取ることで手筈はすべて整っていたんですね。ところがいざ私がポンと出てしまうと最後のギリギリの土壇場になってやっぱり女の子が欲しいということになってしまった。で、養子縁組待ちのリストに名前が載っていた今の両親のところに夜も遅い時間に電話が行ったんです。「予定外の男の赤ちゃんが生まれてしまったんですけど、欲しいですか?」。彼らは「もちろん」と答えました。

 しかし、これは生みの母親も後で知ったことなんですが、二人のうち母親の方は大学なんか一度だって出ていないし父親に至っては高校もロクに出ていないわけです。そうと知った生みの母親は養子縁組の最終書類にサインを拒みました。そうして何ヶ月かが経って今の親が将来私を大学に行かせると約束したので、さすがの母親も態度を和らげた、といういきさつがありました。

◆ ◇ ◆

PART 2 COLLEGE DROP-OUT

 こうして私の人生はスタートしました。やがて 17 年後、私は本当に大学に入るわけなんだけど、何も考えずにスタンフォード並みに学費の高いカレッジを選んでしまったもんだから労働者階級の親の稼ぎはすべて大学の学費に消えていくんですね。そうして 6 ヶ月も過ぎた頃には、私はもうそこに何の価値も見出せなくなっていた。自分が人生で何がやりたいのか私には全く分からなかったし、それを見つける手助けをどう大学がしてくれるのかも全く分からない。なのに自分はここにいて、親が生涯かけて貯めた金を残らず使い果たしている。だから退学を決めた。全てのことはうまく行くと信じてね。

 そりゃ当時はかなり怖かったですよ。ただ、今こうして振り返ってみると、あれは人生最良の決断だったと思えます。だって退学した瞬間から興味のない必修科目はもう採る必要がないから、そういうのは止めてしまって、その分もっともっと面白そうなクラスを聴講しにいけるんですからね。

 夢物語とは無縁の暮らしでした。寮に自分の持ち部屋がないから夜は友達の部屋の床に寝泊りさせてもらってたし、コーラの瓶を店に返すと 5 セント玉がもらえるんだけど、あれを貯めて食費に充てたりね。日曜の夜はいつも 7 マイル (11.2km) 歩いて街を抜けると、ハーレクリシュナ寺院でやっとまともなメシにありつける、これが無茶苦茶旨くてね。

 しかし、こうして自分の興味と直感の赴くまま当時身につけたことの多く

は、あとになって値札がつけられないぐらい価値のあるものだって分かってきたんだね。

 ひとつ具体的な話をしてみましょう。

◆ ◇ ◆

PART 3 CONNECTING DOTS

 リード大学は、当時としてはおそらく国内最高水準のカリグラフィ教育を提供する大学でした。キャンパスのそれこそ至るところ、ポスター 1 枚から戸棚のひとつひとつに貼るラベルの1枚1枚まで美しい手書きのカリグラフィ(飾り文字)が施されていました。私は退学した身。もう普通のクラスには出なくていい。そこでとりあえずカリグラフィのクラスを採って、どうやったらそれができるのか勉強してみることに決めたんです。

 セリフをやってサンセリフの書体もやって、あとは活字の組み合わせに応じて字間を調整する手法を学んだり、素晴らしいフォントを実現するためには何が必要かを学んだり。それは美しく、歴史があり、科学では判別できない微妙なアートの要素を持つ世界で、いざ始めてみると私はすっかり夢中になってしまったんですね。

 こういったことは、どれも生きていく上で何ら実践の役に立ちそうのないものばかりです。だけど、それから10年経って最初のマッキントッシュ・コンピュータを設計する段になって、この時の経験が丸ごと私の中に蘇ってきたんですね。で、僕たちはその全てをマックの設計に組み込んだ。そうして完成したのは、美しいフォント機能を備えた世界初のコンピュータでした。

 もし私が大学であのコースひとつ寄り道していなかったら、マックには複数書体も字間調整フォントも入っていなかっただろうし、ウィンドウズはマックの単なるパクりに過ぎないので、パソコン全体で見回してもそうした機能を備えたパソコンは地上に1台として存在しなかったことになります。

 もし私がドロップアウト(退学)していなかったら、あのカリグラフィのクラスにはドロップイン(寄り道)していなかった。

 そして、パソコンには今あるような素晴らしいフォントが搭載されていなかった。

 もちろん大学にいた頃の私には、まだそんな先々のことまで読んで点と点を繋げてみることなんてできませんでしたよ。だけど10年後振り返ってみると、これほどまたハッキリクッキリ見えることもないわけで、そこなんだよね。もう一度言います。未来に先回りして点と点を繋げて見ることはできな

い、君たちにできるのは過去を振り返って繋げることだけなんだ。だからこ

そバラバラの点であっても将来それが何らかのかたちで必ず繋がっていくと信じなくてはならない。自分の根性、運命、人生、カルマ…何でもいい、とにかく信じること。点と点が自分の歩んでいく道の途上のどこかで必ずひとつに繋がっていく、そう信じることで君たちは確信を持って己の心の赴くまま生きていくことができる。結果、人と違う道を行くことになってもそれは同じ。信じることで全てのことは、間違いなく変わるんです。

◆ ◇ ◆

PART 4 FIRED FROM APPLE

 2番目の話は、愛と敗北にまつわるお話です。

 私は幸運でした。自分が何をしたいのか、人生の早い段階で見つけることができた。実家のガレージでウォズとアップルを始めたのは、私が 20 歳の時でした。がむしゃらに働いて 10 年後、アップルはガレージの我々たった 2 人の会社から従業員 4 千人以上の 20 億ドル企業になりました。そうして自分たちが出しうる最高の作品、マッキントッシュを発表してたった1年後、30回目の誕生日を迎えたその矢先に私は会社を、クビになったんです。

 自分が始めた会社だろ?どうしたらクビになるんだ?と思われるかもしれませんが、要するにこういうことです。アップルが大きくなったので私の右腕として会社を動かせる非常に有能な人間を雇った。そして最初の 1 年かそこらはうまく行った。けど互いの将来ビジョンにやがて亀裂が生じ始め、最後は物別れに終わってしまった。いざ決裂する段階になって取締役会議が彼に味方したので、齢 30 にして会社を追い出されたと、そういうことです。しかも私が会社を放逐されたことは当時大分騒がれたので、世の中の誰もが知っていた。

 自分が社会人生命の全てをかけて打ち込んできたものが消えたんですから、私はもうズタズタでした。数ヶ月はどうしたらいいのか本当に分からなかった。自分のせいで前の世代から受け継いだ起業家たちの業績が地に落ちた、自分は自分に渡されたバトンを落としてしまったんだ、そう感じました。このように最悪のかたちで全てを台無しにしてしまったことを詫びようと、デイヴィッド・パッカードとボブ・ノイスにも会いました。知る人ぞ知る著名な落伍者となったことで一時はシリコンヴァレーを離れることも考えたほどです。

 ところが、そうこうしているうちに少しずつ私の中で何かが見え始めてきたんです。私はまだ自分のやった仕事が好きでした。アップルでのイザコザはその気持ちをいささかも変えなかった。振られても、まだ好きなんですね。だからもう一度、一から出直してみることに決めたんです。

 その時は分からなかったのですが、やがてアップルをクビになったことは自分の人生最良の出来事だったのだ、ということが分かってきました。成功者であることの重み、それがビギナーであることの軽さに代わった。そして、あらゆる物事に対して前ほど自信も持てなくなった代わりに、自由になれたことで私はまた一つ、自分の人生で最もクリエイティブな時代の絶頂期に足を踏み出すことができたんですね。

 それに続く5年のうちに私はNeXTという会社を始め、ピクサーという会社を作り、素晴らしい女性と恋に落ち、彼女は私の妻になりました。

 ピクサーはやがてコンピュータ・アニメーションによる世界初の映画 「トイ・ストーリー」 を創り、今では世界で最も成功しているアニメーション・スタジオです。

 思いがけない方向に物事が運び、NeXTはアップルが買収し、私はアップルに復帰。NeXTで開発した技術は現在アップルが進める企業再生努力の中心にあります。ロレーヌと私は一緒に素晴らしい家庭を築いてきました。

 アップルをクビになっていなかったらこうした事は何ひとつ起こらなかった、私にはそう断言できます。そりゃひどい味の薬でしたよ。でも患者にはそれが必要なんだろうね。人生には時としてレンガで頭をぶん殴られるようなひどいことも起こるものなのです。だけど、信念を放り投げちゃいけない。私が挫けずにやってこれたのはただ一つ、自分のやっている仕事が好きだという、その気持ちがあったからです。皆さんも自分がやって好きなことを見つけなきゃいけない。それは仕事も恋愛も根本は同じで、君たちもこれから仕事が人生の大きなパートを占めていくだろうけど自分が本当に心の底から満足を得たいなら進む道はただ一つ、自分が素晴しいと信じる仕事をやる、それしかない。そして素晴らしい仕事をしたいと思うなら進むべき道はただ一つ、好きなことを仕事にすることなんですね。まだ見つかってないなら探し続ければいい。落ち着いてしまっちゃ駄目です。心の問題と一緒でそういうのは見つかるとすぐピンとくるものだし、素晴らしい恋愛と同じで年を重ねるごとにどんどんどんどん良くなっていく。だから探し続けること。落ち着いてしまってはいけない。

◆◇◆

PART 5 ABOUT DEATH

 3 つ目は、死に関するお話です。

 私は 17 の時、こんなような言葉をどこかで読みました。確かこうです。

「来る日も来る日もこれが人生最後の日と思って生きるとしよう。そうすればいずれ必ず、間違いなくその通りになる日がくるだろう」。それは私にとって強烈な印象を与える言葉でした。そしてそれから現在に至るまで 33 年間、私は毎朝鏡を見て自分にこう問い掛けるのを日課としてきました。「もし今日が自分の人生最後の日だとしたら、今日やる予定のことを私は本当にやりたいだろうか?」。それに対する答えが “NO” の日が幾日も続くと、そろそろ何かを変える必要があるなと、そう悟るわけです。

 自分が死と隣り合わせにあることを忘れずに思うこと。これは私がこれまで人生を左右する重大な選択を迫られた時には常に、決断を下す最も大きな手掛かりとなってくれました。何故なら、ありとあらゆる物事はほとんど全て…外部からの期待の全て、己のプライドの全て、屈辱や挫折に対する恐怖の全て…こういったものは我々が死んだ瞬間に全て、きれいサッパリ消え去っていく以外ないものだからです。そして後に残されるのは本当に大事なことだけ。自分もいつかは死ぬ。そのことを思い起こせば自分が何か失ってしまうんじゃないかという思考の落とし穴は回避できるし、これは私の知る限り最善の防御策です。

 君たちはもう素っ裸なんです。自分の心の赴くまま生きてならない理由など、何一つない。

◆◇◆

PART 6 DIAGNOSED WITH CANCER

 今から 1 年ほど前、私は癌と診断されました。 朝の 7 時半にスキャンを受けたところ、私のすい臓にクッキリと腫瘍が映っていたんですね。私はその時まで、すい臓が何かも知らなかった。

 医師たちは私に言いました。これは治療不能な癌の種別である、ほぼ断定していいと。生きて 3 ヶ月から 6 ヶ月、それ以上の寿命は望めないだろう、と。主治医は家に帰って仕事を片付けるよう、私に助言しました。これは医師の世界では 「死に支度をしろ」 という意味のコード(符牒)です。

 それはつまり、子どもたちに今後10年の間に言っておきたいことがあるのなら思いつく限り全て、なんとか今のうちに伝えておけ、ということです。たった数ヶ月でね。それはつまり自分の家族がなるべく楽な気持ちで対処できるよう万事しっかりケリをつけろ、ということです。それはつまり、さよならを告げる、ということです。

 私はその診断結果を丸 1 日抱えて過ごしました。そしてその日の夕方遅く、バイオプシー (生検) を受け、喉から内視鏡を突っ込んで中を診てもらったんですね。内視鏡は胃を通って腸内に入り、そこから医師たちはすい臓に針で穴を開け腫瘍の細胞を幾つか採取しました。私は鎮静剤を服用していたのでよく分からなかったんですが、その場に立ち会った妻から後で聞いた話によると、顕微鏡を覗いた医師が私の細胞を見た途端、急に泣き出したんだそうです。何故ならそれは、すい臓癌としては極めて稀な形状の腫瘍で、手術で直せる、そう分かったからなんです。こうして私は手術を受け、ありがたいことに今も元気です。

 これは私がこれまで生きてきた中で最も、死に際に近づいた経験ということになります。この先何十年かは、これ以上近い経験はないものと願いたいですけどね。

 以前の私にとって死は、意識すると役に立つことは立つんだけど純粋に頭の中の概念に過ぎませんでした。でも、あれを経験した今だから前より多少は確信を持って君たちに言えることなんだが、誰も死にたい人なんていないんだよね。天国に行きたいと願う人ですら、まさかそこに行くために死にたいとは思わない。にも関わらず死は我々みんなが共有する終着点なんだ。かつてそこから逃れられた人は誰一人としていない。そしてそれは、そうあるべきことだら、そういうことになっているんですよ。何故と言うなら、死はおそらく生が生んだ唯一無比の、最高の発明品だからです。それは生のチェンジエージェント、要するに古きものを一掃して新しきものに道筋を作っていく働きのあるものなんです。今この瞬間、新しきものと言ったらそれは他ならぬ君たちのことだ。しかしいつか遠くない将来、その君たちもだんだん古きものになっていって一掃される日が来る。とてもドラマチックな言い草で済まんけど、でもそれが紛れもない真実なんです。

 君たちの時間は限られている。だから自分以外の他の誰かの人生を生きて無駄にする暇なんかない。ドグマという罠に、絡め取られてはいけない。それは他の人たちの考え方が生んだ結果とともに生きていくということだからね。その他大勢の意見の雑音に自分の内なる声、心、直感を掻き消されないことです。自分の内なる声、心、直感というのは、どうしたわけか君が本当になりたいことが何か、もうとっくの昔に知っているんだ。だからそれ以外のことは全て、二の次でいい。

◆ ◇ ◆

PART 7 STAY HUNGRY, STAY FOOLISH

 私が若い頃、"The Whole Earth Catalogue(全地球カタログ)" というとんでもない出版物があって、同世代の間ではバイブルの一つになっていました。

 それはスチュアート・ブランドという男がここからそう遠くないメンロパークで製作したもので、彼の詩的なタッチが誌面を実に生き生きしたものに仕上げていました。時代は60年代後半。パソコンやデスクトップ印刷がまだ普及する前の話ですから、媒体は全てタイプライターとはさみ、ポラロイドカメラで作っていた。だけど、それはまるでグーグルが出る35年前の時代に遡って出されたグーグルのペーパーバック版とも言うべきもので、理想に輝き、使えるツールと偉大な概念がそれこそページの端から溢れ返っている、そんな印刷物でした。

 スチュアートと彼のチームはこの "The Whole Earth Catalogue" の発行を何度か重ね、コースを一通り走り切ってしまうと最終号を出した。それが70年代半ば。私はちょうど今の君たちと同じ年頃でした。

 最終号の背表紙には、まだ朝早い田舎道の写真が1枚ありました。君が冒険の好きなタイプならヒッチハイクの途上で一度は出会う、そんな田舎道の写真です。写真の下にはこんな言葉が書かれていました。「Stay hungry, stayfoolish.(ハングリーであれ。馬鹿であれ)」。それが断筆する彼らが最後に残した、お別れのメッセージでした。「Stay hungry, stay foolish.」

 それからというもの私は常に自分自身そうありたいと願い続けてきた。そして今、卒業して新たな人生に踏み出す君たちに、それを願って止みません。

  Stay hungry, stay foolish.

 ご拝聴ありがとうございました。

the Stanford University Commencement address by Steve Jobs CEO, Apple Computer CEO, Pixar Animation Studios

翻訳 市村佐登美

satomi@mediaexpress.org

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衆院解散

「自分が選挙に行っても何も変わりはしないから、投票に行っても意味がない」

日本人であれば誰もがこう考えると思うのは当然だと思うのだが、本当にそうなんだろうか?こう考えてみてはどうだろう。

選択肢がなければ、白票を投じたらよい。白票は、有権者にとっては一見無意味なように見えるが候補者の誰かが本来得られていたであろう票だから、候補者 にとっては喉から手が出るほど欲しいはず。*白票が多くなると、政治家は、その 有権者を取り込むにはどうしたらいいかを真剣に考えるようになります。*まずは投票することが大事。(一部 N 先生の文を勝手に引用。*…*の間、しかも結論。Thanks)

前回の参院選挙では、私は渡米したばかりだったので、投票できなかった。外国に3ヶ月以上住まないと在外投票権が得られなかったからである。

しかし今回、調べてみたら!また投票できない!!(@@;

というのは、

以下の必要書類 (申請書、パスポート、賃貸契約書等住所記載の書 類)を持参の上、総領事館の窓口までお越しください。申請後、総領事館を経由し、市区町村の選挙管理委員会の在外選挙 名簿へ登録され、約 2~3 ヶ月くらいで在外選挙人証がご自宅に届きます。

っておいおい、2005/9/11 に間に合わねーじゃねーか!!このインターネット・ドッグイヤーの時代に、2~3 ヶ月かかるとは何事か!わざと投票できなくしてんじゃねーの?と勘ぐりたくなる。海外にいる日本人の有権者って56 万人ってさっきどこかのサイトに書 いてあった気がする。海外は日本のように娯楽がないから選挙も楽しみのひとつなのになぁ!うむむ

で、もはや日本に住民票がないのに小選挙区はどうなるのかと思ったら・・・

20 歳以上の日本国民で在サンフランシスコ日本国総領事館の管轄区域に 3ヶ月以上お住まいの方は、在外選挙人名簿へ登録し、在外選挙人証を取得す ることによって日本の選挙 (衆議院・参議院議員選挙で比例代表選出議員選挙のみ) に投票することができます。

おいおい比例だけかよ! (まぁそれは仕方ないか)

というわけで、これを読んでいるみなさん、私たち (私と妻で投票できないものが 2票もある) の分まで、投票しに行ってきてください。そして、選挙に行こうかどうか迷ってる人には冒頭の文言を。この世の中には、投票したくてもできない人がいることをお忘れなく。忙しいというのは理由になりません。郵便で不在者投票できるんだから。今まであった選挙には全部投票しに行ってたのになあ。悔しいなぁ、、

P.S.

1 年前の参院選挙のときはイラク派兵が話題になっていたのに、今回は影も形もない。郵政だけに焦点が行くが、1 年前、みんなが関心を寄せていたことは、1 年経てばどうでもいいのか?その間に (というかつい最近) エジプトやイギリスでテロが起こったぞ。

コラム(Our World) 題名:No.645 真実を見つける努力を

追記 (2006/09/14)

2004/09/14、N 先生に、「今日、最高裁の大法廷判決が言い渡されました。」 と、「最高裁、在外邦人に対する在外選挙制度に違憲判断」を下したことを教えていただきました。

やはり海外居住者が比例区しか選挙権を持たないのは違憲状態だったのです。

追記 (2006/02/23) nikkei.co.jp より。

在外投票手続き簡素化・政府、公選法改正案提出へ

政府は海外に住む有権者の在外投票の拡大に向けた制度見直し案を固めた。投票に必要な選挙人名簿への登録手続きを一部簡素化し、居住期間が満たない前でも大使館や総領事館などに在留届を提出する際に名簿登録を同時に申請できるようにする。20日召集予定の通常国会に公職選挙法改正案を提出する。

 在外投票のあり方を巡って最高裁は昨年9月、投票が国政選挙の比例代表に限定されていることに違憲判決を下した。これを受けて政府は、衆院選の小選挙区、参院選の選挙区、それぞれの補欠選挙の国政選挙すべてに対象を拡大する方針を決め、並行して制度の簡素化も検討していた。 (16:10)

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自己暗示

  私は、入社当時より将来、海外 (特にアメリカ) で働いたり生活したりしたいと考えていた。その 「夢」 は、今まさにかなっていると言える。

  でもどうしてここまでこれたのか、今まで私も理由がわからなかった。漠然とその答えを出すなら、「常日頃それを強く思っていた」 に過ぎない。

  ではなぜ思うだけでここまでこれたのか?

  すべてをプラスに考えて来たから?とも思った。しかし今までは理屈がわからなかった。

  しかし!最近になってこの理屈を自分の中で消化することができた。

  結論から言うと私は知らないうちに自己暗示をかけていたのだと思う。この自己暗示こそが夢を叶える原動力となり得るのだと、今もって確信しつつある。

  では、その自己暗示とは何だろうか?

  その前に、まずは自己暗示の悪い面から考えてみたい。非常にわかりやすい例としては、テストのときを考えてみる。

「どうせやってもムダなんだ」 (自己暗示)

 ↓

「勉強せずに遊びに行く」 (行動)

 ↓
「テストが 50 点だった」 (出来事)

 ↓

「テストは失敗だった」 (解釈)

 ↓
「どうせやってもムダなんだ」 (自己暗示)

 ↓
「勉強せずに遊びに行く」 (行動)

 ↓

………

  このサイクルは、当人のマイナスの自己暗示から始まっている。

しかしマイナスの自己暗示も、理由なく生じる訳ではない。

  悪い自己暗示は悪い行動を動機付け、悪い行動は悪い出来事が生じる可能性を高め、悪い出来事は悪く解釈されがちであり、悪い解釈は悪い自己暗示として定着することが多い。

  すなわち、自己暗示 - 行動 - 出来事 - 解釈 - 自己暗示 …… のサイクルは、悪循環を形成している。自己暗示は、自らを実現する予言のようなものである。このループに捕われたが最後、「ほら、やっぱり悪くなる」 と暗示の 「証拠」 を自らがつくり出すことで、暗示を強化してしまう。多数の失敗例の中に、ほんのわずかな数の成功例が差し挟まれても、「そんなものは例外だ」 とスルーされてしまっては、自己暗示は持続し覆されないだろう。このループこそが自己暗示が強固な理由である。

  例えば、良くないことが起こったときにたまたま TV で良くない占いが目に飛び込んできたとする。こんなときも暗示の 「証拠」 を自らが作り出し、悪い暗示を増幅させてしまうのである。

  上の例では「マイナスの悪循環」を考察してみたが、これを反対に置き換えれば「プラスの好循環」となる。つまり自らの成功を予言して「ほら、やっぱり良くなった」と、成功の好循環を作り出すことを日ごろから練習(訓練)すればよいのだ。

  実は、自己暗示は自己催眠と同義である。催眠というと、嘘くさいイメージがあるが、しかしこれこそが、夢を叶える原動力であるとすると、少なくとも私の場合はすべてに納得がいった。

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すごいぞイチロー

自ら挑んだ大リーグでの新記録樹立という偉業を成し遂げた
イチロー。本当にすごいと思う。

2004/10/03 asahi.com より抜粋

年間最多安打を記録した試合後、日本の報道陣とのやりとりは約40分続いた。
普段は口数の少ないイチロー選手が、晴れやかな笑顔で、自らの偉業や今後の
目標について語った。記者会見などでの一問一答は次の通り。

――「257」という数字をとんでもないところと話していたが

今思うのは、小さいことを重ねることが、とんでもないところに行くただ一つの道だと感じている。

すごいなイチロー。小さな努力が大きな成功につながる…か、平易な言葉も偉業を成し遂げた彼が言うからこそ本当に重みがある。

――届いた実感は?

(今季)やっている間は常にそこを越していくわけだから実感はないが、こういう数字は、時間がたってとんでもないことだと気づくんだと思う。

本人は、コツコツ仕事をしていたのだから、確かにそうなんだろうと思う。

――周囲に期待されて苦しかったのでは

やっている間にプレッシャーから解き放たれるのは不可能。背負ってプレーするしかない。でも、ドキドキ、ワクワクとかプレッシャーが僕にとってはたまらない。これが勝負の世界にいる者のだいご味。それがない選手ではつまらない。

オリンピックの選手とかもそうだけど、よく思うのはプロというのは、「プレッシャー込み」 でプロなんだと思う。それは、松井を観ているとこれは言葉に表されなくてもひしひしと伝わってくるものがある。

同じプロのイチローもそうだったんだな。

 ――257安打を意識し始めたのはいつか

周囲が教えてくれた。具体的にイメージするようになったのは200本を超えてから。普通にやっていけばできるかもしれない、と考えた。

この「普通にやっていれば」というのが素晴らしい。

――この記録はもう破られないと思うか

84年間なかったのだから簡単ではないと思う。10年間はやめてね、という気持ちはある。でも、破られることもあるでしょう。願わくは(更新する打者は)自分でありたいと思います。

イチロー、カッコイイ、最高にカッコ良すぎる。

――新記録の原動力は

野球が好きだということですね。それと、今季に限って言えば、チームが勝てない状況が続き、そこに身を委ねることができなかった。プロとして勝つだけが目的ではない。プロとして何を見せなくてはいけないか、を> 忘れずにプレーした。

プロは、「プロとして何を見せなくてはいけないか」という気持ちは忘れてはいけないらしい。それがプロなんだ。。

――打率4割への挑戦はどうか

打率はコントロールできてしまう。「野球が好きでグラウンドに立ちたい」というのがぼくの原点。打率を目標にしたら、打席に立ちたくなくなる可能性がある。それは本意ではないから、目標にはできない。

なるほど・・・あくまでもホンモノを目指すということか。
妥協はない。

――自分にとって、満足できるための基準は

少なくとも誰かに勝った時ではない。自分が定めたものを達成した時に出てくるものです。

(10/03 08:57)

記録を達成したイチローの、自身の言葉も記録的な重さ!

2004/10/02 asahi.com より。

「こちらに来て強く思ったのは、体が大きいことに、そんなに意味はない。僕は大リーグに入ってしまえば一番小さい部類です。でも、こういう記録を作ることもできた。大きさや強さに対するあこがれが大きすぎて、自分自身の可能性をつぶさないで欲しい。自分自身の持っている能力を生かせれば、可能性はすごく広がると思う」

(10/02 21:26)

シリコンバレーに来てからは、アメリカという国は、「世界選手権」 だと思った。もちろん、白人としてのアメリカ人もいるのだが、シリコンバレーでは、それこそ国を捨てて来ているような中国人やインド人は、とても優秀な人ばかりだ。鎖国を 300 年以上も続けて来た日本と違って、その国の自体も移民によって建国されたアメリカは、もともと移民に対して寛容な国だ。

そのアメリカで日本人であるイチローが、アメリカを象徴するベタベタな文化=野球で、記録を作ったことは、日本人社会に非常に大きなインパクトがあったと思う。

2004/10/02 asahi.com にはこうもある。

日本の首位打者が海を渡ったのは01年。「どんなに実績があろうとも、『なめんじゃねえぞメジャーを』『なんぼのもんじゃい』という雰囲気をすごく感じた」

こっちに来て働くようになり、これは私も強く感じた。

「お前が日本でどんなことをしてきたか俺たちは知る由もないが、お前の実力は実績で示すことだな」

チームで仕事を行い、責任が分散される仕組みが確立されている日本と違って、個人主義が徹底して仕事まで個人の能力が要求される (特に私の場合は研究する仕事だから) 周りは本当にそう言ってるみたいだった。

さらに自身の記録を塗り替えたイチローはこう話す。

2004/10/04 asahi.com より抜粋

3年ぶりに首位打者を獲得した。感慨をこう話す。「自分がどれだけできても、それ以上にやった人がいたら一番(首位打者)にはなれない。改めて奪い取った。そんな感じです」 他人の記録を追うのは簡単。でも自分の記録を追うことは大変なこと。だってそれが自分の限界だから」

こういうことを言うのは誰でも簡単に言える。でもその言っているのが記録を達成したイチローだからこそ、この言葉に意味が出てくるのだと思う。日本人は、自分の子どもにイチローのすごさを彼の言葉を引用しながらなんで彼はすごいのかを徹底的に教えて行くべきだな (自戒を込めて)!!。 それが次のイチローにつながると思う。

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目線は低く、目標は高く。

かつて 同僚 だった中国人の彼からのウンチク。

  1. 開発はやってはいけない。
  2. プロジェクトは自分でコントロールできること。
  3. 目線は低く、目標は高く。

1. は、私が取り組んでいたケータイ向けのプロジェクトでの教訓。(一般に IT の大企業は) 開発すると各スタッフのコストが高過ぎて、この分野ではベンチャーには勝てない。

2. は、やりたいことがあるのにコントローラブルでないプロジェクトは失敗する。

3. は名言だろう。お客様や、チームのメンバーの目線に合わせて行動する。
しかし目標は限りなく高く!!

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営業の心得

「1 聞いて、10 理解して100 しゃべる」

1992年、ISID(電通国際情報サービス)の就職試験で女性社員が話していたのを聞いて。

(私はこの会社は、試験で落ちました。)

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キッペスの教え

Waldemar Kippes

ドイツ生まれ 司祭 ロヨラ大学(シカゴ)文学博士
臨床パストラルケア教育研修センター 所長
上智大学、南山大学、聖アントニオ神学院等 講師歴任

学生の頃、 「人間学」 というものがあった。

人間学って何するの?って感じだが、私のクラスでは上のキッペスという教授(神父)がこの授業の担任だった。授業がはじまったらすぐに部屋の鍵を閉めるから遅刻できない。授業は午前中だったが、12時に教会の鐘が鳴ると 「祈りましょう」 と、どんな場合でも授業を中断して祈る。

人間学なのに 「必修」 ということは、落とすと卒業できないということだ。こんな厳しい授業を落として2年続けてやりたくない、と、みんな出席だけはしていた。

キッペス自身もイヤな奴だった。が、あるときキッペスが 「私たちはドロボウも責めることはできない」 と言った。
私は 「えっ、なぜ神父のくせにそんなこと言うのか?悪いことしてなぜ許せるのか!?」 と心の中でつぶやいた。
キッペスは云う、

「もし私たちがドロボウと同じ環境で育ったら、 同じことをしていたかもしれない。」

私には目からウロコだった。「罪を憎んで人を憎まず」 ということだろう。これは非常に簡単な言葉だがこの言葉の意味は逆に言うとキッペスが説明した通りということだ。

テロリストはテロリストになった背景がある。人間誰しもテロリストや犯罪者として生まれてきたわけではない。犯罪を犯すようになったのは育ってきた環境によるところが大きい。または、そうでなければ脳に障がいを負って生まれてきてしまったということだと考えている。これはこれで育つ環境とは別の問題で、考えなければいけない点は山ほどある。

私もテロリストと全く同じ環境で育ったら今頃テロリストになっていたかも知れない───学生の頃、あんなに嫌いだったキッペスの教えは、今でも私の心に刻み込まれている。

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いつの日かその扉を開けてみたい。

日曜日の人生設計(最終回) 橘玲(たちばなはじめ)

―もうひとつの幸福のルール―

日経 2003/11/30(日) より無断転載

(前略、中略)

 幸福のかたちに諸説あっても、「自由」が幸福の条件であることに異論のある人はいないだろう。奴隷が幸福
になれないのは自由を奪われているからだ。私達は自分自身の支配者であり、誰もその権利を侵すことはできない。

 ヒトは一匹の動物として生まれ、成長し、老い、死んでいく。この世に生を受ける前に親や社会を選ぶことは
できない。ほとんどの日本人は、莫大な財政赤字を抱え、少子高齢化に苦しむこの国とともに二十一世紀初頭を生きていくことになるだろう。そう考えれば、人生の大半は運命と呼ぶほかないものによって、あらかじめ決めら
れている。だからこそ私達は、残されたわずかな自由を大切に生きるのだ。

 私はこれまで繰り返し同じことを述べてきた。

 人生を経済的側面から語るなら、その目的は何ものにも依存せずに自分と家族の生活を守ることのできる経済的独立を達成することにある。

 自由とは人生に複数の選択肢を持つことだ。国家であれ会社であれ、経済的に第三者に依存し、そこにしがみ
つくしか生きる術がないのなら、新たな一歩は永遠に踏み出せないだろう。

 独立のために一定量の貨幣が必要なら、与えられた資源を有効活用し、最短距離で目標に到達することで人生はより豊かになる。経済合理的に生きる意味はここにある---。

 自由や富が幸福な人生を約束する訳ではない。それは未知の世界を旅する通行証のようなものではないだろうか。いつの日かその扉をあけてみたいと、私はずっと夢見てきた。

 「ゴミ投資家シリーズ」の一連の本の中で書かれている、一貫した主張である。

  ところで、今年もめげずに国際人材公募に応募して 1次面接は通ったものの、「遅くとも月曜日までに知らせる」
という、先週末に受けた取締役との最終面接の結果がまだ来ない。受かると 1年アメリカに行けるキップを手に入れられるだけにそう簡単には決まらないのだろうが、上のエッセイを読みながら自分のしていることは何か、自問自答するのである。

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追記:

後にこの内容は、橘玲著「雨の降る日曜は幸福について考えよう」(幻冬舎刊、2004年、pp.148-150)に載った。

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認められる 「自分」 がありますか?

日曜日の人生設計 (39) 橘玲 (たちばなあきら)

―もうひとつの幸福のルール―

日経2003/11/23(日) より無断転載

 大学の図書館で奇怪な哲学用語に満ちた分厚い本を手にしたことがある。暗号の如きその書物はほとんど理解不能だったが、「人は常に他者の承認を求めて生きている」と述べたくだりはなぜか記憶に残った。

 それから十年後、バブルの最盛期に出会った地上げ師は「あんたもダニやウジ虫以下の人間になればカネし
かないとわかるさ」と言って、夜ごと銀座の高級クラブで花咲爺さんのように一万円札をばら撒いていた。彼は薪の代わりに暖炉にくべるほどの札束を持ち歩いていたが、大して幸福そうには見えなかった。その時ようやくヘーゲルの言葉が理解できた。彼はカネで買えるすべてのものを持っていたが、他者の承認だけは得られなかった。風俗業や高利貸しを濡れ手に粟の商売だと批判する人がいる。だが、参入障壁が低く、利益率の高い商売が目の前にあるのなら、悪口を言うより自分で経営した方がずっといい。優秀な企業家は成功を手にし、業界が健全化すれば消費者にも利益をもたらすだろう。

 儲かる商売に参入者が少ないのは、それが他者の承認が得られない汚れ仕事と見なされているからだ。欲望という底なし需要に対して供給が限られれば、当然そこに超過利潤が生まれる。違法だから儲かるのではなく、その背後には経済的な必然がある。

 他者の承認を得る最も簡単で確実な方法は、自分の価値観を他者と同じにすることだ。女子高生の間で流行したルーズソックスのように、成熟した大衆社会では、人々は他人が望むものを手に入れようと行動する。不格好な靴下は、マイホームやマイカーや学歴や肩書きなど、私達の価値があるとされるどんなものにも置き換えられる。そこでの個性とは、傍からみればどうでもいいような微細な差異を競うことだ。

 ヘーゲルは国家という共同体から承認を得ることで人は幸福になれると説いた。ブランドの魅力は価値観を共有する世界規模の消費共同体に参加できることにある。携帯電話の出会い系サイトが人気を博するのは、実生活では望み得ない承認を仮想空間の共同体が与えてくれるからだろう。忠誠の対象は違っても、誰かに認められたいという人間の行動は変わらない。

 ところで、あなたの欲望が他人の欲望であり、あなたの幸福が他人の幸福であるとすれば、あなたはいったいどこにいるのだろう?

 豊かな社会では「自分探し」の旅が流行するが、大抵の場合、探すべき自分は最初から存在しない。

 人は誰からも承認されない人生に耐えることはできない。一方で、他人の欲望を生きる人生は破綻を免れないだろう。大衆の欲望は無際限で、渇きは永遠に癒されない。幸福のかたちを見失う理由は、たぶんここにある。

  このコラムは、「ゴミ投資家シリーズ」の作者のひとりである橘氏が日経日曜版に連載しているものである。毎回、内容は非常に示唆的である。私は注目すべき記事が日経に載っていると切り抜いて保存しているのだがこのコラムの切り抜き率は非常に高いと思う。

  今日 (2003/11/23)、自腹※で TOEIC を受けてきたが、その行為も彼の言う承認を求める自分があるのでは、と思った。いや、まさにその通り。

  ※…会社では、年 2 回社内で TOEIC がある。

  私からいうと 「受けさせてくれる」。以前は 「受けさせられる」 だったが、今は個人で受けると 1 回の受験料は 6,615 円だということを深く認識しているので、「受けさせてくれる」 という意識である。

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追記:

後にこの内容は、橘玲著「雨の降る日曜は幸福について考えよう」(幻冬舎刊、2004年、pp.148-150)に載った。

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good enough

2003/10/20 ZDNet より。

しかし、ITの歴史の中では 「best」 のテクノロジーが生き残ってきたとは限らない。

「best」 テクノロジーの最大の敵は 「good enough」 なテクノロジーなのである。

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