経済やマーケティングについて普遍的なものは?

人に「これから悪いことが起こる」と言われたら?

  例えば引っ越しを考えていて、風水などで「時期が悪い」「方角が悪い」と見たり聞いたりしたケースを考えてみよう。

  その引っ越し先の家賃や物件の価格があまりにも理不尽な場合はウラに何かあると思って考えなければならないが、行動経済学の観点からはそれはまったくもって関係がない。

  もし風水を無視して引っ越して、その後悪い予言が的中してしまった場合は、何か悪いことが起きたときに「やっぱりあのとき言うことを聞いておけばよかった」とそのせいにすることができる。逆に、最初が悪い場合は(行動経済学ではそれを参照点という)、より悪くなるよりも、より良くなる方の確率が高いといえる。ある時点の状態より良くなるか悪くなるかというのは、1/2 の確率で起こるからである。良いは悪いの反対語で、そして悪いは良いの反対語である。良いか悪いかという状態は 2つに 1つだからである。

  最初が(たとえば最高に)良いと、そこから先は落ちるしかないだろう。最高に良い状態をキープするのは難しいからである。

  人をコントロールしようと思ったら簡単だ。人を恐怖に落とし入れる理由を与えればいい。政治家がこの手法を使う。身近なところでも、占い師とか TV のコメンテータ(株式市場に対するコメントとか)とかによく見られる。どっちみち、良いか悪いかの 1/2 なので、当たる確率も 1/2、予想が当たれば「ほらみたことか」、はずれれば、何らかの理由をつけてくるはず。しかし、どっちみち当たってるかはずれてるかわかるのは予想したときよりも後(未来のことを予想するのが予言)だから、もし結果が明らかになったところで予言者にクレームをつけたとしても、「それより…」と、次の違う予想を言って過去を顧みないのが彼らの常套手段であろう。

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  このあたりは、「行動経済学(人間の心理にも基づく予想)」「ヤバい経済学(不動産屋がどんな言葉を使ってだますか)」あたりに詳しい。

  繰り返しになるが、自分がとことん悪い状況に置かれたときは、それ以上悪くはならない。もし悪くなったら、それより前は実は最高に悪い状態ではなかった、ということである。その場合、次回は物事が良くなる確率の方が上がるのだから、実は良いケースなのである(あくまで良いか悪いかはそのときの相対的な価値観だから)。 参照点が相対的に「悪い」ゾーンに入っているときは、「良い」ゾーンの方に空きが多いのだ。

  冒頭の引っ越しのケースは、要は自分自身が「客観的にみてリーズナブルだ」と思うところに住めば良いのだと思う。

  もともと、その「方角や時期が悪い」という情報の提供元は、間違っていたときにその後の面倒をすべて見てくれるのだろうか?ほとんどのケースはそんな気もないのに、他人の人生における意思決定にずいぶん無責任なことをいうと思う。(娯楽としての占い師を見るなら話は別だが)恐怖は金になるのだ。

  かといって、私も責任持てるかというと、もしそのまま決めてしまって悪いことが起きたときに責任は持てない。しかし、上に述べたことは、悪いことが起こったときに対処できる、心理的に十分合理的な理由を挙げているはずだ。

  人は誰でも大きな決断をするときには背中を押してくれる理由が欲しいのだ、と行動経済学はそう述べている。最後に決めるのは自分である。何事も自己責任(そのための情報収集はすべき)であり、あとは自分次第なのだ。

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ある日突然メイドを愛してしまったら。

  女性が働くことと専業主婦の労働には、密接な関係がある。ここでは、仮に金持ちの独り身の男性と、彼が雇っているメイドに登場してもらおう。メイドは男性の家に住み込みで働き、専用の部屋が与えられ、寝食をともにしているとしよう。

  さて、世の中には「専業主婦」というものも存在する。専業主婦は一般的に職業として認められているわけではないが、専業主婦なる存在は、仮に上の独り身の男性が「ある日突然メイドを愛してしまって、次の日に結婚してしまったら?」という問題に最終的に行き着く。翌日からメイドが専業主婦になるわけである。

  専業主婦は家事のサービスを提供していると考えられる。そうすると、メイドも専業主婦も、同じ家事サービスをその(雇い主である)男性に提供している。専業主婦とメイドの間で違うのは、彼に対する愛があるかないかだけとする(その意味では、メイド時代にメイドがセックスのサービスも提供していたと仮定)。

  そう考えると、愛情の価値を取り除いた経済学的な労働という観点からは、呼び方は違っても専業主婦とメイドでは何ら本質的な違いはないことになる。男性が今まで家事サービスへの対価を賃金という形でメイドに月々支払っていたとすると、そのメイドが今度は男性に妻になった瞬間に、「扶養」という形で妻への生活のコストを負担することになる。

  実はメイドと専業主婦では、雇用という「契約」と、結婚という「契約」の違いもあり、どちらも契約に変わりはないが、結婚の方が雇用契約よりも破棄(すなわち離婚)するのが難しいかもしれない。しかし本当に男性との生活がうまくいかなければ、結婚という契約でさえも、自由意思で破棄可能である。その点では契約という我々の社会的なスキームに本質的な違いはない。一方で男性の方は、結婚によって、他の女性と付き合うことが許されなくなる。しかし今までも男性が身近にいるメイド以外の女性に興味を持たなかったと仮定すると、この男性にとっては気持ちの上でもメイドと専業主婦の違いはあいまいになってくる。

  経済学的な観点からは、メイドと専業主婦には比較優位の原則が働いている。メイドは家事サービスのプロフェッショナルなのである。もしメイドが独身であれば、彼女は自分の(おそらく一番)得意な仕事に従事しているに過ぎない。逆に、仮に専業主婦が医師の免許を持っているとしたら、彼女はある日専業主婦業をやめて医師として働き始めるかも知れない。それは家事サービスを提供するよりも、自分が提供する医者としてのサービスの方が、経済学的には比較優位だからである。

  専業主婦も自分の家に対しての労働であるとして、日本の税制を変えた方がいいというのが私の意見である。配偶者特別控除を最大に受けるためには、38万円までしか稼いではいけないということになっていますが、この38万という数字はまったく根拠がない(ということを、ほとんどの日本国民は知らないと思う)からである。

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プレゼンのときに注意すべきポイント

アメリカの短大の ESL (English as a Second Language) / Listening and Speaking のクラスではプレゼンがテストとなる。20人いる各人が 2分間の持ち時間で HOW TO ナンチャラ をプレゼンするというもの。各人のプレゼンは、クラス全員が以下の評価軸で + (Excellent) / OK / NI (Need to improve) の 3段階で評価し、クラスの最後にその評価をプレゼンテーターに渡した。日本人は授業でプレゼンなんて習う機会がないだろうと思うのでここに挙げてみた。

  1. 声の大きさ (Volume)
  2. 姿勢とジェスチャー、ボディランゲージ (Posture, Gesture and Body Language)
  3. つなぎ言葉 (Empty Words)
  4. 時間内に終わるか (On-time)
  5. 準備がなされているか (Well-prepared, Organized)
  6. 目配り (Eye Contact)
  7. 笑顔 (Smile)
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段取り 8割、現場 2割

これは、仕事において、段取りが非常に大きな役割を占め(全体の 8割)、それが成功すれば実際の仕事の実行(現場)は 2割に過ぎない、ということをいったものである。まさにその通りだと思うが、8 : 2 の割合は 「パレートの法則」 として知られている。その例は枚挙にいとまがない。

  1. ビジネスにおいて、売上の 8割は顧客全体の 2割が生み出している。よって売上を伸ばすには顧客全員を対象としたサービスを行うよりも、2割の顧客に的を絞ったサービスを行う方が効率的である。
  2. 企業の売上の 8割は、全社員のうち 2割の社員の働きによって得られる。
  3. 企業の売上の 8割は、商品の 2割が生み出す (*1)。
  4. 企業の売上の 8割は、顧客の 2割が生み出す (*1)。
  5. トラブルの 8割は、顧客の 2割が生み出す (*1)。
  6. 仕事の成果の 8割は、費やした時間全体のうち 2割である。
  7. 故障の 8割は、全部品のうち 2割に原因がある。
  8. 所得税の 8割は、課税対象者の 2割が担っている。
  9. プログラムの処理にかかる時間の 80%はコード全体の 20%の部分が占める(この 20%を「ボトルネック」と言う)。
  10. 全体の 20%が優れた設計ならば実用上 80%の状況で優れた能力を発揮する。
  11. 働き蟻は全体の 20%が働いているだけで、その 20%の働き者の蟻を巣から取り除くと、残りの蟻の中からやはり 20%の蟻が働くようになる (*2)。
  12. 働きバチはよく働く 20%と、普通に働く 60%、あまり働かない 20%にきれいに分けられるそうだ。面白いことに、よく働く 20%だけ集めて新しい巣をつくらせてみると、そこでも同じくよく働く 20%と、その他の 80%に分かれてしまう。逆に働かない 20%を集めて巣をつくらせても、やはり同じようによく働く 20%が現れてくるという (*1)。
  13. 日本は、国土の 1割に人口の 9割が住む。

これらパレートの法則の中で私が気に入ってるのが 「段取り 8割、現場 2割」 という言葉である。特に日本企業(だけに限らないと思うが)の場合は、段取りや企画の段階でうまくいけば後は実行するだけでよいのである。プログラミングなどでシステム開発に携わったことがある人なら、いかに設計が大事かということを肌で感じているはずだ。

ところで、このパレートの法則を初めて知ったのは私が小学校 5年生のときに、担任の先生の家に遊びにいったときであった。その先生の家にの本棚には漫画 「サスケ (*3)」 が全巻が置いてあって、その中からふと手にした本に 「地球上のものはおおよそすべて 75 : 25 でできている」 ということが書いてあったのだ。

たとえば人間の体も水分とそれ以外は 7 : 3 くらいだし、地球自体も海と陸の割合は 7 : 3 くらいである。説得力があったのは以下の図の白とグレーの部分の面積比であった。

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この図は円とそれに接する正方形を表わしている。ここで、円の面積と正方形から円の部分を除いた部分、すなわち図のグレーの部分の比である。正方形の辺の長さを 1 とすると、正方形の面積は 1。一方、円の面積は π x 0.5 x 0.5 であるから、π=3.14 とすると 円の面積は 0.785。よって、正方形の面積 1 から円の面積 0.785 を引くと、グレーの部分の面積は 0.215。

これは比にすると約 8 : 2 くらいであり、これは見事にパレートの法則にあてはまる。このことを知った当時はまさに目から鱗だった。

*1 (この本は読まなくてもいいかも知れない。)

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*2 (事例がなかなか面白かった。)

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*3 (何巻に上の話が載っていたかはもちろん覚えていない。)

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コンプライアンスとは

compliance とは、日本語では 「法令遵守」 の意味となる(ちなみに、広辞苑によれば、「順守」 と 「遵守」 は、両方が同じ見出しの 「じゅんしゅ」 に併記されている)。私がこの言葉を(単なる英単語を知っているというレベルではなく)意味を理解しながら初めて聞いたのはライブドア・ショックの 1 年以上前、2004/10 であった。この時はちょうどライブドアマーケティングが出版社のマネーライフを完全子会社化したときと重なるが、こちら(アメリカ)で仕事をしている会社で、 「災害やケガ・病気などの緊急時の対応に関するセミナー」 があったときに知ったのだった。

このときのセミナーで教えられたコンプライアンスの内容は 「緊急時の対応(つまり危機管理)」 ということではあったものの、カリフォルニア州の州法では、各企業は社員にこの内容で研修を施すことに対して 「遵守」 が義務付けられているらしい。つまり 「従うこと」 であるが、これを英語では compliance というらしいのだ。

他にも、子どもが通う小学校の先生からのメールに 「(うちの子どもを) compliance するように教えている」 と書かれていたこともあった。この場合は、大人の命令に compliance = 従う こと。アメリカでは「法令遵守」 だけではなく、子どものときから、こういったことは生活の一部に組み入れられているのだろう。

日本ではコンプライアンスをないがしろにして突き進んだ会社がコンプライアンスという考え方を一気に広めたといえる。このような状況になんとも複雑な思いを感じずにはいられない。

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日本経済の回復は本物か?

2006/01、出張のために 1 年 8 ヶ月ぶりにアメリカから日本に帰国した。そこで感じたこと、日経に書かれている通り、日本経済の回復の力強さを目の当たりにした思いだ。日経には連日のごとく「好景気、好景気」の言葉が躍っていたが、百聞は一見に如かず、確かにあちこちでそれを裏付けるような風景を見た。

たとえば品川。ここは駅前の再都市再開発が進み、品川駅東口には品川インターシティという超高層複合ビルが完成していた。ずいぶんと綺麗になった。

そして豊洲。基礎工事の状態も知らぬ間に、ここも地下鉄豊洲駅の上にあるビルの目の前に、同じようなビルがもう一本建っている。豊洲一帯は石川島播磨の工場があり、駅前のビルの高層階からはそのドックを見下ろす形でよく海上自衛隊の護衛艦がメンテされていたのを見かけたものだ。たまたまこのビルに打ち合わせに行ってみて窓の外を眺めてみたら、そのドックもなくなり、隣にゆりかもめの駅、高層マンションが建ち、まったく違う風景になっていた。

樋口廣太郎氏の教えに倣って成田から東京へのリムジンバスからクレーンを確認する。東京への約 1時間 の風景では、クレーンがやたらと目につく。お台場のあたりは近未来都市をさらに再開発しているようだ。

ビルの供給がこれだけ増えるとそれに伴ってビルの設備への需要が増える。つまりビルは建てただけでは機能せず、ビルにつけるガラス、エレベータ、トイレ、オフィスの机や椅子、テーブル、自動ドア、通信設備、空調設備、電源、照明、そしてテナントに入るレストラン…などなど、あらゆる業種・業界にその効果が波及する。

私が行った街は他には東京や渋谷くらいしかないが、六本木の防衛庁跡地も再開発されているはずである。

◆ ◇ ◆

久しぶりの電車、相変わらずケータイ利用率は多い。ケータイの機能はもはや世界一であろう。そして 1 年 8 ヶ月も経てばさすがにモデルチェンジしたのだろう、見たことのないクルマも多かった。今回の好景気においては 80 年代終わりから 90 年初めのバブル期とは違い、少なくとも私が渡米する直前より、文字通り地に足がついているように感じた。

私が住むアメリカでも最近景気がいいらしく、夕方の帰宅するクルマの列の渋滞の列が長くなってきた(そう、クルマ社会のアメリカでは、満員電車ではなくて夕方 5 時頃帰宅するクルマの、フリーウェイへ入るランプの入り口の渋滞の長さで景気を測るのだ)。また、新築のアパート(アメリカのアパート=日本のマンション)も増えている。しかし私がこの目で見た日本経済の勢いはアメリカと同等かそれ以上のものだと感じた(地方の波及効果はどうだろう? 見てないのでわからない。。東京だけ見て 「景気が良い」と言ってたらごめんなさい。ただこの勢いからするといずれ地方にも波及するのでは?もしくは、日本では都市部での勝ち組・地方での負け組がはっきりしてくるかもしれない。それはそれで考えなきゃいけない)。

後は 「流動性のわな」 に陥っていた日本経済への金融政策だ。日銀は量的緩和を解除を宣言したが、注目すべきは今後のゼロ金利解除ならびに公定歩合の引き上げ動向である(消費税引き上げも待ったなしだが、直近ではゼロ金利解除であろう)。この舵取りいかんで、セオリーどおり日本経済の景況は長く続くだろうし、崩れたりもするだろうから。

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景気判断:好景気

アサヒビール名誉会長の樋口廣太郎氏は、

「出張での移動を昼にして、各都市で上がっているクレーンの数を見るようにしている。」

とのこと(2000/01 氏の講演記録より)。

このことを知ってから、私も海外出張があるときには東京→成田→東京までのリムジンバスから、クレーンの数をチェックするようにしている。

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ライブドアショック

先週末、こちら(アメリカ)の TV を観ていたら、年が明けてから 2 週間して 「レコ大」 をやっていた。その中でプレゼンターにホリエモンが出てきた。私は実は TV でホリエモンが出ているのを見たのはそれが初めてだった。かなり緊張していた様子だった。これが社長か?とも思った。私も偉そうなことを言ってるかも知れないが(まぁいつものことですから)、私も 3,000 人くらい集まるドコモの株主総会で発言したことは何回かある。次のプレゼンテーターである小池百合子はさすがにアナウンサーをやっていただけあってスピーチはうまかった。ああいう場でのスピーチは要は度胸の問題だが、ホリエモンはこっちが見ていてドキドキしてしまうな、大丈夫か?と思っていた矢先のこと、、、(前置き長い、すまぬ)

みなさんご存知なようにライブドアが強制捜査された。風説の流布、粉飾決算などの容疑らしい。この時点では社長であるホリエモンが逮捕されたり、刑が確定した訳ではないのでなんとも言えないが、強制捜査が入ったということは検察側も強力な証拠・情報をつかんでいるに違いない。プライドもあるからいかなる容疑でも立件していくだろう。

それはそれで驚いたが今日もっと驚いたのは東証の売買停止だ。通常日本の株式市場の終了は 15:00 であるが、今日 (2006/01/18 JST) はなんと 14:20 に終わってしまったのだ。私は今日の後場は自分の PC からずっと相場をながめていたのだが、14:20 でデータが突然途絶えた。またネット証券がダウン?と思ったら、今回は東証のシステムがパンクしそうになったので事前に売買停止の措置をとったそうだ。もうこれは前代未聞だ。サッカーでスタジアムに人があふれかえりそうなまでになってしまったのでサッカーの試合を中止、もちろん TV 中継も中止したようなもんだ。

さて、私は 2005/05/21 に投稿した 映画 ウォール街 で、

ホリエモンは Gecko の言葉そのものを実践しているのだ。

と書いた。ホリエモンがほとんどウォール街の映画とほとんど同じ通りのシナリオを演じるとは、私自身も思ってもみなかった(彼はこの映画観てないのか?)。私は海外から日本の様子を観察していてずっとホリエモンの生き方が大嫌いであった。今回の強制捜査(=何かしっぺ返しが来るということ)はある意味私の 「想定内」 だ (まぁ、今だから言えるんですけどね) 。今回の 「ライブドアショック」 をもって自分の生き方が正しいと証明されたわけでもないが、信念の違いは未来に大きな結果の違いを生むのだということは確認できた。

要は、たとえばアップルの CEO スティーブジョブズとライブドアの社長であるホリエモン比べて、どっちの会社が今後伸びるか考えてみればいいということだ。アップルは口先だけではない。いい仕事をする。だから信用される。だから株価は上がる(先週末、私が買ったときの 10 倍になった)。

スティーブジョブズは先週の講演で従業員の仕事( Mac の、インテルへの移行)について 「night and weekend」 と言っていた(昼夜 = 「day and night」 ではないところがミソ)。ライブドアは、何も生み出していない。M&A(企業の吸収合併)は映画ウォール街でも中心的に描かれる金儲けのテクニックだ。ホリエモンはまるで魔法をかけたように金を増やしているようにみえるが、それは手品師がしていることと同じで幻想にすぎない。手品師が幻想を提供する限りはお客さんも喜ぶだろうが、その幻想が嘘の上に成り立っていたとしたらそれは詐欺師かペテン師なのだ。

本当にライブドアを信じてる人が多いなら、ストップ安になったりしない。本当にホリエモンを尊敬し、信じているなら、今こそライブドアの株に買いを入れたらいい。売ってくれる人はものすごくたくさんいる。しかし市場の反応はどうなのか? 2 日連続ストップ安、信用買いを 100 万円単位で投資してた輩は 1 日経つごとに 100 万ずつ借金が増えていく。2 日で 200 万。たとえ 10 万単位で投資していても 20 万の借金。この分だと明日もストップ安だろう。実際はまだ逮捕もされてないのに、これほど売りを浴びせられる会社、そしてホリエモン。今回のライブドアショックは東証のシステムまで止めてホリエモンはある意味 2 ちゃんねるでいうところの 「ネ申」 ではないかと思えてくるが、人間の信用とは何か、そしてお金とは、生き方、人生とは何か?を考えるいい機会であろう。

私は、地味だけどコツコツやるタイプの方が好きだ。そうしているうちは決して社会に認められることはないかも知れないが、結果的にそうやっていれば自然と報いがくるのではないかと、自戒をこめて思う次第である。

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スティーブ・ジョブス氏のスタンフォード大学卒業祝賀スピーチ

  素晴らしい。彼は死に対しても正直に向き合っている。

  以前より私は死に対しては、以下のような考え方を参考にしている。

  ラズマス・ダーウィン(ダーウィンのおじいさん)は、有機体的幸福というのを考えた。

  生き物の幸せは、個体の自己放棄、つまり死ぬことである。むしろ生き物の使命は、死んで他者に道をあけてやることである。

  自由競争であろうが都市間競争であろうが、ナチュラル・セレクションによるサバイバル (生き残り) は、実のところ 「死に残し」 の陰画にすぎない。 《生命》 保険みたいなもので、死んでから得られるので、本人には得られない。この死が残すのは 「隙間(エンプティ・スペース)」 であって、資産でないが(が、有限の食料・資源からの引算を考えれば同じこと)。

  ジョブズも言及しているように、死は誰もに平等に与えられる。決して逃げることはできない。同時に私は誰もがこの世に産まれて与えられた使命があると思う。

  天国に行きたいから死ぬのではない。その死を迎えるまでに、与えられた使命を粛々とこなすのが生だと思う。

アップルコンピュータ創立

CEO のスティーブ・ジョブス氏のスタンフォード大学卒業祝賀スピーチ

PART 1 BIRTH

 ありがとう。世界有数の最高学府を卒業される皆さんと、本日こうして晴れの門出に同席でき大変光栄です。実を言うと私は大学を出たことがないので、これが今までで最も大学卒業に近い経験ということになります。
 本日は皆さんに私自身の人生から得たストーリーを3つ紹介します。それだけです。どうってことないですよね、たった 3 つです。最初の話は、点と点を繋ぐというお話です。

 私はリード大学を半年で退学しました。が、本当にやめてしまうまで 18 ヶ月かそこらはまだ大学に居残って授業を聴講していました。じゃあ、なぜ辞めたんだ?ということになるんですけども、それは私が生まれる前の話に遡ります。

 私の生みの母親は若い未婚の院生で、私のことは生まれたらすぐ養子に出すと決めていました。育ての親は大卒でなくては、そう彼女は固く思い定めていたので、ある弁護士の夫婦が出産と同時に私を養子として引き取ることで手筈はすべて整っていたんですね。ところがいざ私がポンと出てしまうと最後のギリギリの土壇場になってやっぱり女の子が欲しいということになってしまった。で、養子縁組待ちのリストに名前が載っていた今の両親のところに夜も遅い時間に電話が行ったんです。「予定外の男の赤ちゃんが生まれてしまったんですけど、欲しいですか?」。彼らは「もちろん」と答えました。

 しかし、これは生みの母親も後で知ったことなんですが、二人のうち母親の方は大学なんか一度だって出ていないし父親に至っては高校もロクに出ていないわけです。そうと知った生みの母親は養子縁組の最終書類にサインを拒みました。そうして何ヶ月かが経って今の親が将来私を大学に行かせると約束したので、さすがの母親も態度を和らげた、といういきさつがありました。

◆ ◇ ◆

PART 2 COLLEGE DROP-OUT

 こうして私の人生はスタートしました。やがて 17 年後、私は本当に大学に入るわけなんだけど、何も考えずにスタンフォード並みに学費の高いカレッジを選んでしまったもんだから労働者階級の親の稼ぎはすべて大学の学費に消えていくんですね。そうして 6 ヶ月も過ぎた頃には、私はもうそこに何の価値も見出せなくなっていた。自分が人生で何がやりたいのか私には全く分からなかったし、それを見つける手助けをどう大学がしてくれるのかも全く分からない。なのに自分はここにいて、親が生涯かけて貯めた金を残らず使い果たしている。だから退学を決めた。全てのことはうまく行くと信じてね。

 そりゃ当時はかなり怖かったですよ。ただ、今こうして振り返ってみると、あれは人生最良の決断だったと思えます。だって退学した瞬間から興味のない必修科目はもう採る必要がないから、そういうのは止めてしまって、その分もっともっと面白そうなクラスを聴講しにいけるんですからね。

 夢物語とは無縁の暮らしでした。寮に自分の持ち部屋がないから夜は友達の部屋の床に寝泊りさせてもらってたし、コーラの瓶を店に返すと 5 セント玉がもらえるんだけど、あれを貯めて食費に充てたりね。日曜の夜はいつも 7 マイル (11.2km) 歩いて街を抜けると、ハーレクリシュナ寺院でやっとまともなメシにありつける、これが無茶苦茶旨くてね。

 しかし、こうして自分の興味と直感の赴くまま当時身につけたことの多く

は、あとになって値札がつけられないぐらい価値のあるものだって分かってきたんだね。

 ひとつ具体的な話をしてみましょう。

◆ ◇ ◆

PART 3 CONNECTING DOTS

 リード大学は、当時としてはおそらく国内最高水準のカリグラフィ教育を提供する大学でした。キャンパスのそれこそ至るところ、ポスター 1 枚から戸棚のひとつひとつに貼るラベルの1枚1枚まで美しい手書きのカリグラフィ(飾り文字)が施されていました。私は退学した身。もう普通のクラスには出なくていい。そこでとりあえずカリグラフィのクラスを採って、どうやったらそれができるのか勉強してみることに決めたんです。

 セリフをやってサンセリフの書体もやって、あとは活字の組み合わせに応じて字間を調整する手法を学んだり、素晴らしいフォントを実現するためには何が必要かを学んだり。それは美しく、歴史があり、科学では判別できない微妙なアートの要素を持つ世界で、いざ始めてみると私はすっかり夢中になってしまったんですね。

 こういったことは、どれも生きていく上で何ら実践の役に立ちそうのないものばかりです。だけど、それから10年経って最初のマッキントッシュ・コンピュータを設計する段になって、この時の経験が丸ごと私の中に蘇ってきたんですね。で、僕たちはその全てをマックの設計に組み込んだ。そうして完成したのは、美しいフォント機能を備えた世界初のコンピュータでした。

 もし私が大学であのコースひとつ寄り道していなかったら、マックには複数書体も字間調整フォントも入っていなかっただろうし、ウィンドウズはマックの単なるパクりに過ぎないので、パソコン全体で見回してもそうした機能を備えたパソコンは地上に1台として存在しなかったことになります。

 もし私がドロップアウト(退学)していなかったら、あのカリグラフィのクラスにはドロップイン(寄り道)していなかった。

 そして、パソコンには今あるような素晴らしいフォントが搭載されていなかった。

 もちろん大学にいた頃の私には、まだそんな先々のことまで読んで点と点を繋げてみることなんてできませんでしたよ。だけど10年後振り返ってみると、これほどまたハッキリクッキリ見えることもないわけで、そこなんだよね。もう一度言います。未来に先回りして点と点を繋げて見ることはできな

い、君たちにできるのは過去を振り返って繋げることだけなんだ。だからこ

そバラバラの点であっても将来それが何らかのかたちで必ず繋がっていくと信じなくてはならない。自分の根性、運命、人生、カルマ…何でもいい、とにかく信じること。点と点が自分の歩んでいく道の途上のどこかで必ずひとつに繋がっていく、そう信じることで君たちは確信を持って己の心の赴くまま生きていくことができる。結果、人と違う道を行くことになってもそれは同じ。信じることで全てのことは、間違いなく変わるんです。

◆ ◇ ◆

PART 4 FIRED FROM APPLE

 2番目の話は、愛と敗北にまつわるお話です。

 私は幸運でした。自分が何をしたいのか、人生の早い段階で見つけることができた。実家のガレージでウォズとアップルを始めたのは、私が 20 歳の時でした。がむしゃらに働いて 10 年後、アップルはガレージの我々たった 2 人の会社から従業員 4 千人以上の 20 億ドル企業になりました。そうして自分たちが出しうる最高の作品、マッキントッシュを発表してたった1年後、30回目の誕生日を迎えたその矢先に私は会社を、クビになったんです。

 自分が始めた会社だろ?どうしたらクビになるんだ?と思われるかもしれませんが、要するにこういうことです。アップルが大きくなったので私の右腕として会社を動かせる非常に有能な人間を雇った。そして最初の 1 年かそこらはうまく行った。けど互いの将来ビジョンにやがて亀裂が生じ始め、最後は物別れに終わってしまった。いざ決裂する段階になって取締役会議が彼に味方したので、齢 30 にして会社を追い出されたと、そういうことです。しかも私が会社を放逐されたことは当時大分騒がれたので、世の中の誰もが知っていた。

 自分が社会人生命の全てをかけて打ち込んできたものが消えたんですから、私はもうズタズタでした。数ヶ月はどうしたらいいのか本当に分からなかった。自分のせいで前の世代から受け継いだ起業家たちの業績が地に落ちた、自分は自分に渡されたバトンを落としてしまったんだ、そう感じました。このように最悪のかたちで全てを台無しにしてしまったことを詫びようと、デイヴィッド・パッカードとボブ・ノイスにも会いました。知る人ぞ知る著名な落伍者となったことで一時はシリコンヴァレーを離れることも考えたほどです。

 ところが、そうこうしているうちに少しずつ私の中で何かが見え始めてきたんです。私はまだ自分のやった仕事が好きでした。アップルでのイザコザはその気持ちをいささかも変えなかった。振られても、まだ好きなんですね。だからもう一度、一から出直してみることに決めたんです。

 その時は分からなかったのですが、やがてアップルをクビになったことは自分の人生最良の出来事だったのだ、ということが分かってきました。成功者であることの重み、それがビギナーであることの軽さに代わった。そして、あらゆる物事に対して前ほど自信も持てなくなった代わりに、自由になれたことで私はまた一つ、自分の人生で最もクリエイティブな時代の絶頂期に足を踏み出すことができたんですね。

 それに続く5年のうちに私はNeXTという会社を始め、ピクサーという会社を作り、素晴らしい女性と恋に落ち、彼女は私の妻になりました。

 ピクサーはやがてコンピュータ・アニメーションによる世界初の映画 「トイ・ストーリー」 を創り、今では世界で最も成功しているアニメーション・スタジオです。

 思いがけない方向に物事が運び、NeXTはアップルが買収し、私はアップルに復帰。NeXTで開発した技術は現在アップルが進める企業再生努力の中心にあります。ロレーヌと私は一緒に素晴らしい家庭を築いてきました。

 アップルをクビになっていなかったらこうした事は何ひとつ起こらなかった、私にはそう断言できます。そりゃひどい味の薬でしたよ。でも患者にはそれが必要なんだろうね。人生には時としてレンガで頭をぶん殴られるようなひどいことも起こるものなのです。だけど、信念を放り投げちゃいけない。私が挫けずにやってこれたのはただ一つ、自分のやっている仕事が好きだという、その気持ちがあったからです。皆さんも自分がやって好きなことを見つけなきゃいけない。それは仕事も恋愛も根本は同じで、君たちもこれから仕事が人生の大きなパートを占めていくだろうけど自分が本当に心の底から満足を得たいなら進む道はただ一つ、自分が素晴しいと信じる仕事をやる、それしかない。そして素晴らしい仕事をしたいと思うなら進むべき道はただ一つ、好きなことを仕事にすることなんですね。まだ見つかってないなら探し続ければいい。落ち着いてしまっちゃ駄目です。心の問題と一緒でそういうのは見つかるとすぐピンとくるものだし、素晴らしい恋愛と同じで年を重ねるごとにどんどんどんどん良くなっていく。だから探し続けること。落ち着いてしまってはいけない。

◆◇◆

PART 5 ABOUT DEATH

 3 つ目は、死に関するお話です。

 私は 17 の時、こんなような言葉をどこかで読みました。確かこうです。

「来る日も来る日もこれが人生最後の日と思って生きるとしよう。そうすればいずれ必ず、間違いなくその通りになる日がくるだろう」。それは私にとって強烈な印象を与える言葉でした。そしてそれから現在に至るまで 33 年間、私は毎朝鏡を見て自分にこう問い掛けるのを日課としてきました。「もし今日が自分の人生最後の日だとしたら、今日やる予定のことを私は本当にやりたいだろうか?」。それに対する答えが “NO” の日が幾日も続くと、そろそろ何かを変える必要があるなと、そう悟るわけです。

 自分が死と隣り合わせにあることを忘れずに思うこと。これは私がこれまで人生を左右する重大な選択を迫られた時には常に、決断を下す最も大きな手掛かりとなってくれました。何故なら、ありとあらゆる物事はほとんど全て…外部からの期待の全て、己のプライドの全て、屈辱や挫折に対する恐怖の全て…こういったものは我々が死んだ瞬間に全て、きれいサッパリ消え去っていく以外ないものだからです。そして後に残されるのは本当に大事なことだけ。自分もいつかは死ぬ。そのことを思い起こせば自分が何か失ってしまうんじゃないかという思考の落とし穴は回避できるし、これは私の知る限り最善の防御策です。

 君たちはもう素っ裸なんです。自分の心の赴くまま生きてならない理由など、何一つない。

◆◇◆

PART 6 DIAGNOSED WITH CANCER

 今から 1 年ほど前、私は癌と診断されました。 朝の 7 時半にスキャンを受けたところ、私のすい臓にクッキリと腫瘍が映っていたんですね。私はその時まで、すい臓が何かも知らなかった。

 医師たちは私に言いました。これは治療不能な癌の種別である、ほぼ断定していいと。生きて 3 ヶ月から 6 ヶ月、それ以上の寿命は望めないだろう、と。主治医は家に帰って仕事を片付けるよう、私に助言しました。これは医師の世界では 「死に支度をしろ」 という意味のコード(符牒)です。

 それはつまり、子どもたちに今後10年の間に言っておきたいことがあるのなら思いつく限り全て、なんとか今のうちに伝えておけ、ということです。たった数ヶ月でね。それはつまり自分の家族がなるべく楽な気持ちで対処できるよう万事しっかりケリをつけろ、ということです。それはつまり、さよならを告げる、ということです。

 私はその診断結果を丸 1 日抱えて過ごしました。そしてその日の夕方遅く、バイオプシー (生検) を受け、喉から内視鏡を突っ込んで中を診てもらったんですね。内視鏡は胃を通って腸内に入り、そこから医師たちはすい臓に針で穴を開け腫瘍の細胞を幾つか採取しました。私は鎮静剤を服用していたのでよく分からなかったんですが、その場に立ち会った妻から後で聞いた話によると、顕微鏡を覗いた医師が私の細胞を見た途端、急に泣き出したんだそうです。何故ならそれは、すい臓癌としては極めて稀な形状の腫瘍で、手術で直せる、そう分かったからなんです。こうして私は手術を受け、ありがたいことに今も元気です。

 これは私がこれまで生きてきた中で最も、死に際に近づいた経験ということになります。この先何十年かは、これ以上近い経験はないものと願いたいですけどね。

 以前の私にとって死は、意識すると役に立つことは立つんだけど純粋に頭の中の概念に過ぎませんでした。でも、あれを経験した今だから前より多少は確信を持って君たちに言えることなんだが、誰も死にたい人なんていないんだよね。天国に行きたいと願う人ですら、まさかそこに行くために死にたいとは思わない。にも関わらず死は我々みんなが共有する終着点なんだ。かつてそこから逃れられた人は誰一人としていない。そしてそれは、そうあるべきことだら、そういうことになっているんですよ。何故と言うなら、死はおそらく生が生んだ唯一無比の、最高の発明品だからです。それは生のチェンジエージェント、要するに古きものを一掃して新しきものに道筋を作っていく働きのあるものなんです。今この瞬間、新しきものと言ったらそれは他ならぬ君たちのことだ。しかしいつか遠くない将来、その君たちもだんだん古きものになっていって一掃される日が来る。とてもドラマチックな言い草で済まんけど、でもそれが紛れもない真実なんです。

 君たちの時間は限られている。だから自分以外の他の誰かの人生を生きて無駄にする暇なんかない。ドグマという罠に、絡め取られてはいけない。それは他の人たちの考え方が生んだ結果とともに生きていくということだからね。その他大勢の意見の雑音に自分の内なる声、心、直感を掻き消されないことです。自分の内なる声、心、直感というのは、どうしたわけか君が本当になりたいことが何か、もうとっくの昔に知っているんだ。だからそれ以外のことは全て、二の次でいい。

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PART 7 STAY HUNGRY, STAY FOOLISH

 私が若い頃、"The Whole Earth Catalogue(全地球カタログ)" というとんでもない出版物があって、同世代の間ではバイブルの一つになっていました。

 それはスチュアート・ブランドという男がここからそう遠くないメンロパークで製作したもので、彼の詩的なタッチが誌面を実に生き生きしたものに仕上げていました。時代は60年代後半。パソコンやデスクトップ印刷がまだ普及する前の話ですから、媒体は全てタイプライターとはさみ、ポラロイドカメラで作っていた。だけど、それはまるでグーグルが出る35年前の時代に遡って出されたグーグルのペーパーバック版とも言うべきもので、理想に輝き、使えるツールと偉大な概念がそれこそページの端から溢れ返っている、そんな印刷物でした。

 スチュアートと彼のチームはこの "The Whole Earth Catalogue" の発行を何度か重ね、コースを一通り走り切ってしまうと最終号を出した。それが70年代半ば。私はちょうど今の君たちと同じ年頃でした。

 最終号の背表紙には、まだ朝早い田舎道の写真が1枚ありました。君が冒険の好きなタイプならヒッチハイクの途上で一度は出会う、そんな田舎道の写真です。写真の下にはこんな言葉が書かれていました。「Stay hungry, stayfoolish.(ハングリーであれ。馬鹿であれ)」。それが断筆する彼らが最後に残した、お別れのメッセージでした。「Stay hungry, stay foolish.」

 それからというもの私は常に自分自身そうありたいと願い続けてきた。そして今、卒業して新たな人生に踏み出す君たちに、それを願って止みません。

  Stay hungry, stay foolish.

 ご拝聴ありがとうございました。

the Stanford University Commencement address by Steve Jobs CEO, Apple Computer CEO, Pixar Animation Studios

翻訳 市村佐登美

satomi@mediaexpress.org

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成功した社会主義

  同僚で、私よりも入社年度は遅く歳下だが、尊敬している人物がいる。彼は中国人。早稲田の大学院を出ている。歳はそんなに変わらない、2002年は彼と一緒に仕事をしていた。某野球球団との IT 恊働も彼がいなければ成し遂げられなかった。

  イケイケで仕事をする。彼は云う、「中国にはこんなことわざがある。」

『船が通れば、橋は開く』

  これは、

大きな船が開橋の前を通れば、だまっていても(許可なくても)橋は開かざるを得ない。

という意味だそうだ。

  つまり良くいえば、「意志(志)あるところに、道は開ける」ということだし、悪くいえば 「やったもの勝ち」 ということだろう。

  以前彼に、

「なぜ就職先にうちの会社を選んだのか?君なら、もっと外資とか他に給料の高そうなところに行けただろう」

と尋ねたことがある。

  彼は答えた。「外資も考えた。外資か、日本の会社がいいと思った。日立とかこの会社は、日本の会社。だから、選んだ。なぜなら、日本の会社のことをよく勉強できるから。中国に帰ったら 『自分は日本の会社(のしきたり)に詳しい』 と言える。」

  目から鱗。その中国人である彼は、ことあるこどに

日本は中国よりも社会主義。(年金問題など)こんな社会主義の国はない。一方で(今の)中国は、日本よりも資本主義だ。

と言っていた。

  そういえば、以下の話もあるらしい。

かつてソ連のゴルバチョフ書記長が『日本は成功した社会主義国の例だ』と
語ったという逸話がある。
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