常に心に留めておきたいことば、考え方。

段取り 8割、現場 2割

これは、仕事において、段取りが非常に大きな役割を占め(全体の 8割)、それが成功すれば実際の仕事の実行(現場)は 2割に過ぎない、ということをいったものである。まさにその通りだと思うが、8 : 2 の割合は 「パレートの法則」 として知られている。その例は枚挙にいとまがない。

  1. ビジネスにおいて、売上の 8割は顧客全体の 2割が生み出している。よって売上を伸ばすには顧客全員を対象としたサービスを行うよりも、2割の顧客に的を絞ったサービスを行う方が効率的である。
  2. 企業の売上の 8割は、全社員のうち 2割の社員の働きによって得られる。
  3. 企業の売上の 8割は、商品の 2割が生み出す (*1)。
  4. 企業の売上の 8割は、顧客の 2割が生み出す (*1)。
  5. トラブルの 8割は、顧客の 2割が生み出す (*1)。
  6. 仕事の成果の 8割は、費やした時間全体のうち 2割である。
  7. 故障の 8割は、全部品のうち 2割に原因がある。
  8. 所得税の 8割は、課税対象者の 2割が担っている。
  9. プログラムの処理にかかる時間の 80%はコード全体の 20%の部分が占める(この 20%を「ボトルネック」と言う)。
  10. 全体の 20%が優れた設計ならば実用上 80%の状況で優れた能力を発揮する。
  11. 働き蟻は全体の 20%が働いているだけで、その 20%の働き者の蟻を巣から取り除くと、残りの蟻の中からやはり 20%の蟻が働くようになる (*2)。
  12. 働きバチはよく働く 20%と、普通に働く 60%、あまり働かない 20%にきれいに分けられるそうだ。面白いことに、よく働く 20%だけ集めて新しい巣をつくらせてみると、そこでも同じくよく働く 20%と、その他の 80%に分かれてしまう。逆に働かない 20%を集めて巣をつくらせても、やはり同じようによく働く 20%が現れてくるという (*1)。
  13. 日本は、国土の 1割に人口の 9割が住む。

これらパレートの法則の中で私が気に入ってるのが 「段取り 8割、現場 2割」 という言葉である。特に日本企業(だけに限らないと思うが)の場合は、段取りや企画の段階でうまくいけば後は実行するだけでよいのである。プログラミングなどでシステム開発に携わったことがある人なら、いかに設計が大事かということを肌で感じているはずだ。

ところで、このパレートの法則を初めて知ったのは私が小学校 5年生のときに、担任の先生の家に遊びにいったときであった。その先生の家にの本棚には漫画 「サスケ (*3)」 が全巻が置いてあって、その中からふと手にした本に 「地球上のものはおおよそすべて 75 : 25 でできている」 ということが書いてあったのだ。

たとえば人間の体も水分とそれ以外は 7 : 3 くらいだし、地球自体も海と陸の割合は 7 : 3 くらいである。説得力があったのは以下の図の白とグレーの部分の面積比であった。

circle_rectangle.jpg

この図は円とそれに接する正方形を表わしている。ここで、円の面積と正方形から円の部分を除いた部分、すなわち図のグレーの部分の比である。正方形の辺の長さを 1 とすると、正方形の面積は 1。一方、円の面積は π x 0.5 x 0.5 であるから、π=3.14 とすると 円の面積は 0.785。よって、正方形の面積 1 から円の面積 0.785 を引くと、グレーの部分の面積は 0.215。

これは比にすると約 8 : 2 くらいであり、これは見事にパレートの法則にあてはまる。このことを知った当時はまさに目から鱗だった。

*1 (この本は読まなくてもいいかも知れない。)

Embedded content

*2 (事例がなかなか面白かった。)

Embedded content

*3 (何巻に上の話が載っていたかはもちろん覚えていない。)

Embedded content

続きを読む

子どもたちが生きるうちに学ぶもの

もしも子どもが批判のうちに生きるなら

  その子どもは非難することを学ぶ

  もしも子どもが敵意のうちに生きるなら、

    その子どもは、攻撃することを学ぶ

もしも子どもが、あざけりのうちに生きるなら、

  その子どもは内気になることを学ぶ

  もしも子どもが寛容のうちに生きるなら、

    その子どもは、忍耐することを学ぶ

    もしも子どもが誉め言葉のうちに生きるなら、

      その子どもは、ありがたく思うことを学ぶ

    もしも子どもが公平な取り扱いのうちに生きるなら、

      その子どもは正義を学ぶ

  もしも子どもが安心のうちに生きるなら

    その子どもは人を信用することを学ぶ

もしも子どもが賛意のうちに生きるなら

  その子どもは、自分を尊重することを学ぶ

  もしも子どもが寛容と友情のうちにいきるなら

    その子どもは、この世で愛を見出すことを学ぶ

これは、結婚式を大学内の教会で挙げるために 1994 年、毎週日曜日の 14 時という時間に計 17 回に渡って通った「結婚講座」にて、今は亡きネブレダ神父(イエズス会)から教えられたものであります。子どものことで悩んだときは、今でもこれを思い起こすのです。

続きを読む

自分探し

「自分探しの旅に出る」 などと言って旅に出たりする人がいるが、そこで自分を見つけた人はいない。

続きを読む

障がい児 (1999/11/02)

  みなさんは、もし自分の子どもが知的な障がいを負っているとしたら、何を考えるだろうか。

  わたしなりの答えをする前に、我が家の子どもたちのことを話そう。
わたしは、気づいていた。子どもたちの成長が遅いことを。それは、32 週で帝王切開によって産まれた直後、医者からわたしだけ呼ばれてこう言われたのが頭にあったからかも知れない。

 「肺ができていなかったため、保育器の中で人工呼吸器をつけています。こうやって産まれた子は知能の発達が遅れることがあります、まぁ、多くは小学生になるころには追いつくんですが、そうでない場合もあるかも知れません」

  彼らが生まれた時、このように言われたときはあまり気にしなかったが、頭の隅にはいつもこのことばがあったように思う。成長するにつれ次第に他の子との発達の差が目立つようになった。子どもたちが 1 歳半を過ぎた頃から、医者のことばをよく思い出すようになった。

  2 歳の誕生日を迎えたとき、例えば子どもたちは、産まれてからずっと人見知りをまったくしなかった。どんな相手にも笑顔でこたえる。バイバイもできない。わたしはいいとしても、妻が子どもたちを呼んでも振り向かない。目線が合わない、合わそうとすると顔をそらす。自分でできることがあまりにも少ない。ことばがでない。体はどんどん大きくなっても、心はずっと赤ちゃんのままのようにみえる。とにかくマイペース。

  田舎のおじいちゃん、おばあちゃんからは、

 「まだまだ、3 歳になってみないとわからないよ」 そして、医者や市の療育センターも「3 歳まで様子を見ましょう。」

 (そしてこれらの言葉は、決して信用してはならないもだと最初から確信していたが) やはりわたしは彼らの父親だ。彼らの行動は一見すると普通に見えるが少し変だ、というのは親だからこそわかることだ。

  そしてこの時期、これはまったく親のエゴかも知れないが、わたしの希望で子どもたちの MRI で脳 (の断面図) を撮ってもらうことにした。これを撮るために、効かないので許容量一杯まで睡眠薬を飲ませたときは心が痛んだ。結果は、1 人は生まれたときに脳に酸素が行かず、脳細胞が少し死んでいるとのこと。そしてもう 1 人は、これとは別の観点で脳の発達の遅れがみられる、とのことだった。そしてこのとき医者は

 「親は、子どもにいろいろなことを試してみるが、ほとんどは親の自己満足に終わってしまうので、あきらめた方がいい。」

  このままどうなってしまうのだろう?と悩んだ。彼らは社会的にも、障がい者とも認められず、中途半端な状態におかれたままなのだろうか?しかしながら、何もせずにはいられなかった。

  まず、子育ての方針を変えた。 「 3 歳までは専業主婦として育児に専念する」 と妻と話し合っていたが、子どもたちに刺激を与えるために、すぐに保育園を探した。これは紆余曲折の末、無事入園することができた。ちなみに、この保育園では、障がい児の保育を真剣に考えてくれるようになった。園長や保母たちにはとても感謝している。

  次に、地域の「訓練会サークル」にも週 1 度参加するようにした。さらに、知り会いの紹介で、大学の心理学研究室にも通うようにした。これと同時に、障がい児のことについていろいろと調べていくうちに、聞きなれないキーワードが飛びこんでくる。 「療育」 「通園」…

  IQ を測ったり、精神科医が診断して彼らが障がい児として認定されると、療育手帳なるものがもらえ、いろいろなサービスが受けられるようになるらしい。また、療育センターに通うことを通園と言うらしい。

  そこで、市に無理を言って (しかも、申請してから診断まですごく待って)、2 歳 4 ヶ月くらいで子どもたちの状態を診断してもらった。その結果、2人とも認定されたのはちょっと複雑な気持ちだったが、経済的、制度的な面で心の余裕ができ、早めに診断してもらって良かったと思っている。

  環境面でたくさんの変化が起きた。子どもたちも 3歳半を過ぎ、以前よりも行動が落ち着いてきたようだ (ことばがでないのは相変わらずだが)。毎日、いやがる彼らを抑えつけて顔をわたしに向けるようにしていたら、最近では目線も合うようになってきた。

  ここで実際に子どもたちを訓練会や保育園に連れて動き回っているのはわたしの妻。わたしは毎日会社に行ってしまうので朝晩と週末に自分の子ども以外に接することは少ないが、妻はそうはいかない。保育園、同じマンションの子ども…わたしよりも多くの、同い年くらいの子どもに接している。わたしは、自分の子どもと同い歳くらいの他の家の子どもが 「パパ-」 と呼んでいるのを聞くと、依然ブルーな気持ちになるが、その頻度は少ない。それに比べ、妻はどうだろう。ただでさえ双子なのに、どのお母さんよりもがんばっていると思う。妻のことは尊敬している。

  最初は、「なぜうちの子が…」 という気持ちだった。子育ての方針を変え、いろいろと診察してもらったり、わたしたちなりに勉強して、子どもの状態を理解して受け入れる決心がつくまでちょうど 1 年以上はかかった。それが、今である。

  ここで、最初の質問にわたしから答えたいと思う。わたしは、幸せには 「相対的に幸せを感じること」 と 「絶対的に幸せを感じること」 の 2 種類があると考えるようになった。例えば前者は、自分の生活レベルと他人の生活レベルを比較することでどちらが幸せなのか判断することである。相対的なモノの尺度で測った幸せは、本当の幸せと言えるのだろうか?

  わたしたちの世界のほとんどは、相対的な幸せに価値をおいているように思う。それは、資本主義と言う競争社会の中では、仕方のないことかも知れない。しかしながらわたしと妻は、子どもたちからすでにある 1 つの結論を得ている。それは、絶対的な尺度で幸せを感じていこう。決して、他人の子どもと比較しない。わたしたちには、自分たちが見つける喜びがそこにあるはずだからだ。

  その一方で、子どもたちの将来も考えている。 「順番から言うとわたしたちが先に死ぬ、この子たちが大きくなったときに住みよい社会を作っておく。」 これは生涯のわたしの目標となった。

◆ ◇ ◆

※本稿は、以下の本に執筆したものです。

Embedded content

続きを読む

コンプライアンスとは

compliance とは、日本語では 「法令遵守」 の意味となる(ちなみに、広辞苑によれば、「順守」 と 「遵守」 は、両方が同じ見出しの 「じゅんしゅ」 に併記されている)。私がこの言葉を(単なる英単語を知っているというレベルではなく)意味を理解しながら初めて聞いたのはライブドア・ショックの 1 年以上前、2004/10 であった。この時はちょうどライブドアマーケティングが出版社のマネーライフを完全子会社化したときと重なるが、こちら(アメリカ)で仕事をしている会社で、 「災害やケガ・病気などの緊急時の対応に関するセミナー」 があったときに知ったのだった。

このときのセミナーで教えられたコンプライアンスの内容は 「緊急時の対応(つまり危機管理)」 ということではあったものの、カリフォルニア州の州法では、各企業は社員にこの内容で研修を施すことに対して 「遵守」 が義務付けられているらしい。つまり 「従うこと」 であるが、これを英語では compliance というらしいのだ。

他にも、子どもが通う小学校の先生からのメールに 「(うちの子どもを) compliance するように教えている」 と書かれていたこともあった。この場合は、大人の命令に compliance = 従う こと。アメリカでは「法令遵守」 だけではなく、子どものときから、こういったことは生活の一部に組み入れられているのだろう。

日本ではコンプライアンスをないがしろにして突き進んだ会社がコンプライアンスという考え方を一気に広めたといえる。このような状況になんとも複雑な思いを感じずにはいられない。

続きを読む

中国人女性のことば

2000 年の夏の終わりから秋にかけて、ベイエリアのサン・マイクロシステムズにインターンとして働いていた。そのころ、目の前のアパートの Adult Center という建物で ESL (English as a Second Language の略; 英語を第 2 外国語とする人たちのためクラス)にも通っていた。

そこでクラスメイトの中国人と 「アメリカについて」 話したときのこと。彼女は、旦那さんの仕事の都合でベイエリアに来たそうだが、驚いたことに中国にいたときから家族以外の男性と話したことがなかったらしい。

「そうなると私が初めて話した男なのか?」 と尋ねると 「Yes」。

彼女は曰うのだ、

「こちらの人たちは、いつでも金(マネー)、金という。株の話とか、いくら儲かったとか、これはいくらしたとか、中国では(少なくとも彼女の生まれ育った故郷では)そんな話はまったくしたことがなかった。」

今でもそのときの彼女の言ったことばは忘れられない。われわれは資本主義社会に生きている。日常の会話の中でお金の話が出てきても私は否定しないが、いつも彼女のことばが頭の中でリンクして思い起こされるのである。

中国の都市部では、2000 年当時と比較してもはや今では日本以上の資本主義社会になってることと思う。彼女との会話では確かに国やその制度が違えば、感じ方や生き方が違うのだというのを痛感したのだった。

続きを読む

コーチングの決め技

日経 2006/01/21 26 面(生活) 「育児にコーチング」 (川井道子) より無断転載

  1. <承認> 言葉や行動などから子のメッセージを受け止め、アドバイスは後から
  2. <傾聴> 話を聞くときは用事の手を止める
  3. <リフレイン> 子の発言の語尾などを繰り返す
  4. <私メッセージ> 「お母さんはこうしてほしい」など「私」を主語に話す
  5. <先入観を持たない> 「子どもはこういうもの」と思いこまない
  6. <質問> 子どもが失敗しても「どうしたらいいのかな」などと問いかけ一緒に原因を探す
  7. <沈黙> せかさず子が話し始めるまで黙って待つ
続きを読む

オリエント工業

Embedded content

  ラブドールとはいわゆる 「ダッチワイフ」 のことであるが、これを作ってるのがオリエント工業という会社である。

  https://www.orient-doll.com/

  その昔、タモリ倶楽部かトゥナイトでこの会社が作っているラブドールを 「本物の人間の肌の感触そっくり」 と紹介していたので、そのときに知ってそのままになっていたが、最近この会社の HP にたどりついた。全体的にラブドールは小倉優子似であるような気がするが、それは置いておいてw、写真で見る限りは随分気合いの入ったラブドールと言えるだろう。価格も、一体数十万円と、これを趣味で買うには随分勇気のいる挑戦的なプライシングだ(だからレンタルとかあるらしい。 3 ヶ月くらい前?に、このレンタルの人形を盗んだという事件を asahi.com で見た気がする)。

  さて、この HP には 「オリエント工業の歴史」 というページがある。普通の企業の HP であれば、こんなタイトルのページは調べものでもない限り決してみないものだが、逆にこのオリエント工業の会社の性格からいって、なぜに自社の歴史まで用意されているのか、興味が沸き見てみると、驚くべき事実が書いてあった。

以下、https://www.orient-doll.com/news/25thevent/history.htm

より無断転載

●オリエント工業と土屋日出夫氏

 オリエント工業創設者の土屋日出夫氏は1944年生まれの60歳。

 若き日の土屋氏は横浜から上京し、知人の経営するアダルトショップの手伝いをし、やがて独立して自らアダルトショップを経営する。

 そこで、当時のラブドール(ダッチワイフ)ユーザーの多くが、脚などに障害を持っていたり、奥さんに先立たれて充実した性生活を送れない人たちであることを初めて知る。

 そのことに衝撃を覚えた土屋氏は、そんな人たちの心の悩みを解決できたならと意を決し、1979年、東京・上野に特殊ボディー専門メーカーとしてオリエント工業を設立した。

 当時のラブドールのほとんどは、空気を入れて膨らます稚拙なビニール人形のため、空気が漏れたり破裂することが後を絶たなかった。

 その度にユーザーは新品を買う必要が生じていた。土屋氏はそんな不具合を改良し、ビニールとは違う弾力のあるラブドールを開発・製造するに至った。

 その結果、ユーザーからは驚くほどの反響を得たが、より女性の肉感に近くするなどの改善を加えていき、オリエント工業は、他のメーカーの追随を許さない日本一のドールーメーカーに成長した。

 それは土屋氏の柔軟な発想と、新しい技術を積極的に取り入れては失敗と成功を繰り返す試行錯誤の連続から、必然的に生まれた結果かもしれない。

 その消えることのない情熱は「ユーザーのため」という初心を常に持ち続けた頑固さがあったからだ。それを裏付けるかのように、設立当初から現在に至るまで、オリエント工業製のラブドールには、身体障害者割引が設定されている。

 完結することを知らずに進化するオリエント工業製のラブドール。その新作を待ち侘びるユーザーは増加の一途を止まない。

  そういうことなのだ。アダルトの分野ではあるが、この会社の社長、彼にはビジョンがあったのだ。実は、最初は心の中でバカにしていた。一般的には、ダッチワイフを使うなんて、モテないヤツか、変態か、みたいに思うのが妥当なセンだろう。ところが、この会社のいきさつを知って考えが改まった。むしろ社長の考え方に尊敬の念すら覚える。もちろん、ここに書かれているいきさつは美談もしくは後付けである可能性もある。しかしやはり、仕事に情熱や将来像が描けなければ、写真で見る限り素晴らしいと思えるラブドールは作れないと思うのだ。こんな人形を作れるのは世界中探しても日本人くらいなものだと思うが、何らかのバックグラウンド、ビジョンがないと、確実に 「革新 (innovation)」または 「進化 (evolution)」 をもたらすことはないと思う。

Embedded content

  さて、なぜこのページにたどりついたかタネを明かそう。うちの子どもたちにも必ず思春期はやってくる。知能が低いから、他人にあまり興味を示さない(?いや、ひとりはかなり社交的ではある)といって、異性にも興味示さないとは限らない。では他の家庭の場合はどうしていたかというと、昔は(今も?)去勢するケースもあった(ある)ようだ。あと数年で思春期を迎える。そしてあと 10 年程度で成人になる。私にとっては避けて通れない、今から考えておかなければならない問題なのだ(渡米後の出版だから私は知らないし読んだことはない が、 「セックスボランティア」 河合香織著 (2004/06/20) というも、話題になったのだろうか? 「セックスボランティア」 でググってみよう)。

続きを読む

可能性

  2005/07 の中頃に仕事で、出向先のマネージャから、「こういうのを作ってくれ」 システムのプロトタイプ開発とオーダーが来た。

  期限は 2005/07 末。具体的には、「Windows XP で動作する無線 LAN の DLL を作る」 というものだった。これを読んでいる人は何のことかさっぱりわからないだろうが、それを使うとウィンドウズの動作している PC が無線 LAN のネットワークに接続できるようになるということだ。正直、この仕事はきつかった。オーダーを受けた時点では、自分には*できない*と思った。本気でそう思った。

  例えていうなら、事務所で設計図ばかり書いていた建築家が、上司から 「君が設計したものの家を実際に建てて来い」 という命令だ。建築家は、ペンや定規の扱いはうまいが、釘やトンカチやカンナを使いこなす熟練した大工までには至らないだろうという容易に想像はつくだろう。IT の世界でもそれと同様に、システムエンジニアといえばまさに建築の世界では建築家もしくは現場監督にあたり、プログラマは大工である。だから、出向元のマネージャー、日本側にも、「私の技術・スキルではこの仕事はできない」 と伝えた。

  しかし、日本側の出向元の上司(私には日米それぞれ1人ずつ、計 2 人いる)の反応は、「うーんそれだったら、それが作れるプログラマ(大工)を一応探してみる」 というものだった。日本側で身近なところにこの仕事が完遂できる社員がいないことも私は知っていた。

  一方でアメリカ側の上司に相談すると 「言ってることはわかったけど、できる人を探している間に君ができちゃうんじゃない?」

  冗談ではない。一応私もプログラミングもできるとはいえ、ウィンドウズのプログラミングの経験は私には皆無だし、加えてプログラミングができたとしても今回の仕事はただでさえ超ハイレベルなのだ。自分でも限界を感じている。今の勤めてきて今まで自分でタオルを投げたことはなく、割と困難な仕事でも自己解決してきたものの、本当にできないと思った。入社して 10 年以上経つが、これがおそらく私にとっては最大の危機であっただろう。アメリカ側上司はこうも言った

 「できちゃうんじゃないのー?基本的に問題解決能力の高い人が選ばれてアメリカに来るんだと思っている」

  もう、助けは求められないと思った。出向先は日本の会社の子会社の位置付けだが、日本の本社とはあまり関係はなく、完全にアメリカの会社であり、そこに1人送られて、不可能な仕事を命令され、悩んでも誰も助けてくれない。でも、やるしかない状況。実はここまでの自分の勝算は 5 分 5 分だった。

  結果は、なんと7末を迎える前に自分でできてしまった。結果的に周囲の期待通りになってしまっているのだが、自分自身では、このレベルは自分の能力・スキル以上の仕事であったことは間違いない。自分でもこれには驚いた。やればできるんだな、と。この仕事を乗り越えたら、すべての仕事は簡単に思えてしょうがない。今現在も、ハイレベルな仕事の状況は続いているが、何かの歌の歌詞ではないが、「もう怖くはない。」

  さて、7月末までに完遂できた成功方法を、自分なりに分析してみたが、以下の通りである。非常事態になると、人間強いもので、それができるように、何かの方法を思いつくのかも知れない。

  1. To Do (やるべきリスト) の作成。しかし、これは日々の仕事でも私は自分でつけているので、今回が特別というわけではない。
  2. 普段と違うのは、To Do の単なる「リスト」 ではなく、タスク (作業) の 「表(マトリックス)」 にしたこと。タスクをマトリックスに配置し、縦軸に To Do、そして横軸に1つの To Do における細分化したタスクを記入して行った。つまり、1 つの 「仕事」 を細かい「タスク」に分解した。できるだけ細分化した。
  3. そして、今までにできたタスクは緑色、残項目は赤にセルの色を塗った。完了したタスクの (Excel の) セルには、日付を入れた。こうすることによって、「あとどのくらいで完成」 というのが、一目でわかる。これは、モチベーションの維持に役立つ。
  4. この表は毎日更新し、作業日報の意味を兼ねて出向先のマネージャならびに日米の上司に*毎日*メールした。こうすることによって、自分を追い込んだ。非常事態のときは「報・連・相(報告連絡相談)」が大切である。できるだけ情報を公開するという意味もあった。

  かくして、自己管理できれば、可能性を超えることができるのだと実感した。実は、この方法は、中学生のときにやっていた方法にほかならなかった。それはいつかこのブログに投稿するとしよう。

続きを読む

Think Globally, Act Locally.

1 年間米国に住んで、今思っていることは、以下の記事とまったく同じことである。

自分の言葉で述べられればよいのであるが、やはりここはトッテン氏が 述べていることばに 100% 同意したい。

ここ半年以上、De Anza College に通い、第2外国語・英語の授業で 「米国での生活の変化」 「米国の良いところ、悪いところ」 などのタイトルでさんざん作文 (300ワードくらいの英作文) を書いた。そこでやはりいつも念頭においていたのが以下の内容である。

https://www.ashisuto.co.jp/corporate/totten/column/1175734_629.html

より無断転載。

=====================================================

題名:No.664 米国に依存しない施策を

=====================================================

From : ビル・トッテン

Subject : 米国に依存しない施策を

Number : OW664

Date : 2005年1月18日

 昨年の東京都心の年間平均気温は17.7度と、宮崎市の17.3度よりも高く、観測史上最高であったという。確かに昨年、東京は暖かかった。7月には40度を超える猛暑、12月には25度を超える日もあった。また日本全国で自然災害も多かった。国内では新潟県中越地震や台風被害、世界各地でもハリケーンや大地震が大きなつめ跡を残した。

(ビル・トッテン)

米国に依存しない施策を

 ネイチャー誌に掲載された論文によると、地球の温度は過去百年で0.6度上昇したが、今世紀末までにさらに1.4度から5.8度上昇すると予測されている。これによって氷河が溶け、海水が8センチから10センチ上昇するという。また日本を襲った台風の異常発生やインドや中国で起きた洪水も、地球温暖化の兆候だと論文は記している。地球が大きな変動期にあることは誰の目にも明らかである。

 昨年12月、ブエノス・アイレスで気候変動枠組条約締約国会議が開かれ、多くの国々が参加して環境問題が討議された。気候変動枠組条約とは大気中の温室効果ガスの増大が地球を温暖化し、自然の生態系に悪影響を及ぼす恐れがあることを背景に、大気中の温室効果ガスの濃度を安定化させることを目的として1992二年の地球環境サミットで署名された条約で、日本を含む187カ国とEUが締結している。京都議定書はこの条約の目的を達成するために採択された議定書で、先進国等に対して温室効果ガスを90年比で、2008年~2012年に一定数値(日本6%、米7%、EU8%)を削減することを義務づけるものだが、まだ発効はされていない。

 2001年にこの議定書から脱退し、不参加の方針を変えないまま国別で最大の温室効果ガス排出者で、全世界の20%を排出しているのが米国である。しかし気候変動は米国にとって重要な市場である途上国を危機にさらすだけでなく、米国自身もニューヨークのような沿岸都市が上昇する海水によって脅威にさらされ、フロリダなどで昨年以上に大きなハリケーンに頻繁に見舞われることになる。

 これらは一昨年秋に、米国防総省が作成した22ページにわたる地球温暖化に関する報告書に記述されている。報告書は、2020年にはヨーロッパの主要都市は海面下に没し、イギリスはシベリア化し、世界は干ばつ、飢餓、暴動にのみ込まれ、欠乏する食料や水の確保のために各国は核の脅威を振りかざすようになり、世界は無政府状態と騒乱に陥ると書いている。

 古代から繰り返されてきたパターンのようだが、要するに地球が養うことのできる以上に人口が増えると、水や食料、資源をめぐる争いが起きるということなのだ。そしてそのような影響を知りつつ、米国は温暖化を防ぐためにお金のかかる対策は講じたくないとし、むしろ気候変動がもたらす争いを待ち望むかのような態度をとっているのである。

 その米政府は、テロリスト対策については“最悪の事態を考えて”、国民の自由を狭めるほどの措置を講じている。危険に際しては先制攻撃も辞さないと大量破壊兵器の脅威を理由に侵略したイラク戦争は今も続いている。

 この超大国の異常な行動は、温室効果ガス排出削減への反対だけではない。地雷禁止条約、包括的核実験禁止条約、生物・毒素兵器禁止条約その他多くの条約も、つまり世界を平和に導き、また政府の資金提供者である軍需産業をはじめとする大企業の利益を脅かすことに、米国はすべて反対なのである。こうして世界人口の4%しかない米国は、世界一の軍事力を持ち、資源を支配下に置くために他国を侵略し、世界のエネルギーの25%を消費し、境界を引くことのできない空気や環境を悪化させ続けている。

「平和」営む知恵を “Think globally,Act locally”という言葉がある。国境を越える問題や、温暖化のように原因が先進国にあるのに途上国のほうが大きな影響を受ける問題など、地球全体におけるさまざまな問題について考える際、解決にあたってまず自らの生活、足元について具体的に考え行動せよ、というものだ。情報技術の発展で、都市と地方の情報格差がなくなり、ネットワークにつないだ端末でさまざまな情報を入手できる今日では、ますますそれが可能になっている。日本にいながら世界を考える一歩として、米国の言うことではなくその行動を見て、模倣や追随に値しないことを認識すべきだろう。そして独立国家として、食料問題はじめ米国に依存しない施策を打ち出すのだ。

 今後、ますます資源や環境は避けて通れない問題となっていくだろう。人類が長年にわたって培ってきた知恵や科学技術は、戦争のためではなく、地球上の人々が資源を共有して健全で平和な暮らしを営むために使われるべきである。

続きを読む
Subscribe to 家訓