子どもたちが生きるうちに学ぶもの

もしも子どもが批判のうちに生きるなら

  その子どもは非難することを学ぶ

  もしも子どもが敵意のうちに生きるなら、

    その子どもは、攻撃することを学ぶ

もしも子どもが、あざけりのうちに生きるなら、

  その子どもは内気になることを学ぶ

  もしも子どもが寛容のうちに生きるなら、

    その子どもは、忍耐することを学ぶ

    もしも子どもが誉め言葉のうちに生きるなら、

      その子どもは、ありがたく思うことを学ぶ

    もしも子どもが公平な取り扱いのうちに生きるなら、

      その子どもは正義を学ぶ

  もしも子どもが安心のうちに生きるなら

    その子どもは人を信用することを学ぶ

もしも子どもが賛意のうちに生きるなら

  その子どもは、自分を尊重することを学ぶ

  もしも子どもが寛容と友情のうちにいきるなら

    その子どもは、この世で愛を見出すことを学ぶ

これは、結婚式を大学内の教会で挙げるために 1994 年、毎週日曜日の 14 時という時間に計 17 回に渡って通った「結婚講座」にて、今は亡きネブレダ神父(イエズス会)から教えられたものであります。子どものことで悩んだときは、今でもこれを思い起こすのです。

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自分探し

「自分探しの旅に出る」 などと言って旅に出たりする人がいるが、そこで自分を見つけた人はいない。

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障がい児 (1999/11/02)

  みなさんは、もし自分の子どもが知的な障がいを負っているとしたら、何を考えるだろうか。

  わたしなりの答えをする前に、我が家の子どもたちのことを話そう。
わたしは、気づいていた。子どもたちの成長が遅いことを。それは、32 週で帝王切開によって産まれた直後、医者からわたしだけ呼ばれてこう言われたのが頭にあったからかも知れない。

 「肺ができていなかったため、保育器の中で人工呼吸器をつけています。こうやって産まれた子は知能の発達が遅れることがあります、まぁ、多くは小学生になるころには追いつくんですが、そうでない場合もあるかも知れません」

  彼らが生まれた時、このように言われたときはあまり気にしなかったが、頭の隅にはいつもこのことばがあったように思う。成長するにつれ次第に他の子との発達の差が目立つようになった。子どもたちが 1 歳半を過ぎた頃から、医者のことばをよく思い出すようになった。

  2 歳の誕生日を迎えたとき、例えば子どもたちは、産まれてからずっと人見知りをまったくしなかった。どんな相手にも笑顔でこたえる。バイバイもできない。わたしはいいとしても、妻が子どもたちを呼んでも振り向かない。目線が合わない、合わそうとすると顔をそらす。自分でできることがあまりにも少ない。ことばがでない。体はどんどん大きくなっても、心はずっと赤ちゃんのままのようにみえる。とにかくマイペース。

  田舎のおじいちゃん、おばあちゃんからは、

 「まだまだ、3 歳になってみないとわからないよ」 そして、医者や市の療育センターも「3 歳まで様子を見ましょう。」

 (そしてこれらの言葉は、決して信用してはならないもだと最初から確信していたが) やはりわたしは彼らの父親だ。彼らの行動は一見すると普通に見えるが少し変だ、というのは親だからこそわかることだ。

  そしてこの時期、これはまったく親のエゴかも知れないが、わたしの希望で子どもたちの MRI で脳 (の断面図) を撮ってもらうことにした。これを撮るために、効かないので許容量一杯まで睡眠薬を飲ませたときは心が痛んだ。結果は、1 人は生まれたときに脳に酸素が行かず、脳細胞が少し死んでいるとのこと。そしてもう 1 人は、これとは別の観点で脳の発達の遅れがみられる、とのことだった。そしてこのとき医者は

 「親は、子どもにいろいろなことを試してみるが、ほとんどは親の自己満足に終わってしまうので、あきらめた方がいい。」

  このままどうなってしまうのだろう?と悩んだ。彼らは社会的にも、障がい者とも認められず、中途半端な状態におかれたままなのだろうか?しかしながら、何もせずにはいられなかった。

  まず、子育ての方針を変えた。 「 3 歳までは専業主婦として育児に専念する」 と妻と話し合っていたが、子どもたちに刺激を与えるために、すぐに保育園を探した。これは紆余曲折の末、無事入園することができた。ちなみに、この保育園では、障がい児の保育を真剣に考えてくれるようになった。園長や保母たちにはとても感謝している。

  次に、地域の「訓練会サークル」にも週 1 度参加するようにした。さらに、知り会いの紹介で、大学の心理学研究室にも通うようにした。これと同時に、障がい児のことについていろいろと調べていくうちに、聞きなれないキーワードが飛びこんでくる。 「療育」 「通園」…

  IQ を測ったり、精神科医が診断して彼らが障がい児として認定されると、療育手帳なるものがもらえ、いろいろなサービスが受けられるようになるらしい。また、療育センターに通うことを通園と言うらしい。

  そこで、市に無理を言って (しかも、申請してから診断まですごく待って)、2 歳 4 ヶ月くらいで子どもたちの状態を診断してもらった。その結果、2人とも認定されたのはちょっと複雑な気持ちだったが、経済的、制度的な面で心の余裕ができ、早めに診断してもらって良かったと思っている。

  環境面でたくさんの変化が起きた。子どもたちも 3歳半を過ぎ、以前よりも行動が落ち着いてきたようだ (ことばがでないのは相変わらずだが)。毎日、いやがる彼らを抑えつけて顔をわたしに向けるようにしていたら、最近では目線も合うようになってきた。

  ここで実際に子どもたちを訓練会や保育園に連れて動き回っているのはわたしの妻。わたしは毎日会社に行ってしまうので朝晩と週末に自分の子ども以外に接することは少ないが、妻はそうはいかない。保育園、同じマンションの子ども…わたしよりも多くの、同い年くらいの子どもに接している。わたしは、自分の子どもと同い歳くらいの他の家の子どもが 「パパ-」 と呼んでいるのを聞くと、依然ブルーな気持ちになるが、その頻度は少ない。それに比べ、妻はどうだろう。ただでさえ双子なのに、どのお母さんよりもがんばっていると思う。妻のことは尊敬している。

  最初は、「なぜうちの子が…」 という気持ちだった。子育ての方針を変え、いろいろと診察してもらったり、わたしたちなりに勉強して、子どもの状態を理解して受け入れる決心がつくまでちょうど 1 年以上はかかった。それが、今である。

  ここで、最初の質問にわたしから答えたいと思う。わたしは、幸せには 「相対的に幸せを感じること」 と 「絶対的に幸せを感じること」 の 2 種類があると考えるようになった。例えば前者は、自分の生活レベルと他人の生活レベルを比較することでどちらが幸せなのか判断することである。相対的なモノの尺度で測った幸せは、本当の幸せと言えるのだろうか?

  わたしたちの世界のほとんどは、相対的な幸せに価値をおいているように思う。それは、資本主義と言う競争社会の中では、仕方のないことかも知れない。しかしながらわたしと妻は、子どもたちからすでにある 1 つの結論を得ている。それは、絶対的な尺度で幸せを感じていこう。決して、他人の子どもと比較しない。わたしたちには、自分たちが見つける喜びがそこにあるはずだからだ。

  その一方で、子どもたちの将来も考えている。 「順番から言うとわたしたちが先に死ぬ、この子たちが大きくなったときに住みよい社会を作っておく。」 これは生涯のわたしの目標となった。

◆ ◇ ◆

※本稿は、以下の本に執筆したものです。

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コンプライアンスとは

compliance とは、日本語では 「法令遵守」 の意味となる(ちなみに、広辞苑によれば、「順守」 と 「遵守」 は、両方が同じ見出しの 「じゅんしゅ」 に併記されている)。私がこの言葉を(単なる英単語を知っているというレベルではなく)意味を理解しながら初めて聞いたのはライブドア・ショックの 1 年以上前、2004/10 であった。この時はちょうどライブドアマーケティングが出版社のマネーライフを完全子会社化したときと重なるが、こちら(アメリカ)で仕事をしている会社で、 「災害やケガ・病気などの緊急時の対応に関するセミナー」 があったときに知ったのだった。

このときのセミナーで教えられたコンプライアンスの内容は 「緊急時の対応(つまり危機管理)」 ということではあったものの、カリフォルニア州の州法では、各企業は社員にこの内容で研修を施すことに対して 「遵守」 が義務付けられているらしい。つまり 「従うこと」 であるが、これを英語では compliance というらしいのだ。

他にも、子どもが通う小学校の先生からのメールに 「(うちの子どもを) compliance するように教えている」 と書かれていたこともあった。この場合は、大人の命令に compliance = 従う こと。アメリカでは「法令遵守」 だけではなく、子どものときから、こういったことは生活の一部に組み入れられているのだろう。

日本ではコンプライアンスをないがしろにして突き進んだ会社がコンプライアンスという考え方を一気に広めたといえる。このような状況になんとも複雑な思いを感じずにはいられない。

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日本経済の回復は本物か?

2006/01、出張のために 1 年 8 ヶ月ぶりにアメリカから日本に帰国した。そこで感じたこと、日経に書かれている通り、日本経済の回復の力強さを目の当たりにした思いだ。日経には連日のごとく「好景気、好景気」の言葉が躍っていたが、百聞は一見に如かず、確かにあちこちでそれを裏付けるような風景を見た。

たとえば品川。ここは駅前の再都市再開発が進み、品川駅東口には品川インターシティという超高層複合ビルが完成していた。ずいぶんと綺麗になった。

そして豊洲。基礎工事の状態も知らぬ間に、ここも地下鉄豊洲駅の上にあるビルの目の前に、同じようなビルがもう一本建っている。豊洲一帯は石川島播磨の工場があり、駅前のビルの高層階からはそのドックを見下ろす形でよく海上自衛隊の護衛艦がメンテされていたのを見かけたものだ。たまたまこのビルに打ち合わせに行ってみて窓の外を眺めてみたら、そのドックもなくなり、隣にゆりかもめの駅、高層マンションが建ち、まったく違う風景になっていた。

樋口廣太郎氏の教えに倣って成田から東京へのリムジンバスからクレーンを確認する。東京への約 1時間 の風景では、クレーンがやたらと目につく。お台場のあたりは近未来都市をさらに再開発しているようだ。

ビルの供給がこれだけ増えるとそれに伴ってビルの設備への需要が増える。つまりビルは建てただけでは機能せず、ビルにつけるガラス、エレベータ、トイレ、オフィスの机や椅子、テーブル、自動ドア、通信設備、空調設備、電源、照明、そしてテナントに入るレストラン…などなど、あらゆる業種・業界にその効果が波及する。

私が行った街は他には東京や渋谷くらいしかないが、六本木の防衛庁跡地も再開発されているはずである。

◆ ◇ ◆

久しぶりの電車、相変わらずケータイ利用率は多い。ケータイの機能はもはや世界一であろう。そして 1 年 8 ヶ月も経てばさすがにモデルチェンジしたのだろう、見たことのないクルマも多かった。今回の好景気においては 80 年代終わりから 90 年初めのバブル期とは違い、少なくとも私が渡米する直前より、文字通り地に足がついているように感じた。

私が住むアメリカでも最近景気がいいらしく、夕方の帰宅するクルマの列の渋滞の列が長くなってきた(そう、クルマ社会のアメリカでは、満員電車ではなくて夕方 5 時頃帰宅するクルマの、フリーウェイへ入るランプの入り口の渋滞の長さで景気を測るのだ)。また、新築のアパート(アメリカのアパート=日本のマンション)も増えている。しかし私がこの目で見た日本経済の勢いはアメリカと同等かそれ以上のものだと感じた(地方の波及効果はどうだろう? 見てないのでわからない。。東京だけ見て 「景気が良い」と言ってたらごめんなさい。ただこの勢いからするといずれ地方にも波及するのでは?もしくは、日本では都市部での勝ち組・地方での負け組がはっきりしてくるかもしれない。それはそれで考えなきゃいけない)。

後は 「流動性のわな」 に陥っていた日本経済への金融政策だ。日銀は量的緩和を解除を宣言したが、注目すべきは今後のゼロ金利解除ならびに公定歩合の引き上げ動向である(消費税引き上げも待ったなしだが、直近ではゼロ金利解除であろう)。この舵取りいかんで、セオリーどおり日本経済の景況は長く続くだろうし、崩れたりもするだろうから。

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