Google の PageRank

2005年、昨年 IT 界隈のキーワードとしては Google、iPod、ブログ、RSS、AJAX を挙られると思うが、 「Google」 と 「ブログ」 を理解する前に、 「なぜ Google で検索すると見つけたい情報が検索されるのか?」 という疑問から入らねばならない。それには Google の PageRank について理解する必要がある。ここではその PageRank の仕組みを簡単に説明しよう。

Google の PageRank とは、Google が個々のウェブサイトに付ける 「格付け」 だと考えてよい。格付けは、実際には 「(0~10 などの)数値」 である( 0~10 ではなく、実際はもっともっと細かく分類されているらしいが)。この格付けの方法は Google 独自のものだがそれを PageRank と言っている。この PageRank は大まかに言うと、「ページの内容ではなく世のすべてのウェブサイトのリンク関係で格付けしてしまおう」 という試みである。格付けするとどうなるか?格付けの高いページは、Google で検索したときにより上位の検索結果として表れる。従来の検索エンジン(たとえば Yahoo!、MSN、Infoseek など)は、ページの 「内容」 に着目して(機械的に)ウェブサイトの重要性を決定したのに比べて Google のそれはまったく新しいアプローチであった。

実際には、Google ではあるページへのリンクを 「投票」 とみな している。他のサイトからのリンクが多ければ多いほどそのサイトは有用なのであろうという理屈である。ここで 「そんなものはお互い協力し合って相互リンク貼りまくればいいのではないか?」 という疑問がすぐに思い浮かぶが、Google では、リンクを貼っているサイトの格付けも考慮に入れることによってこの問題を解決している。つまり、いくらリンクを相互に貼ってもお互いのサイトに価値がなければ Google には 「負け組同士のリンクがたくさん貼られている」 とみなされてしまうのである。Yahoo! などのすでに価値を持ったサイトからリンクが自分のサイトに対して貼られていることは、Google の PageRank を上げる上で非常に重要なことだが、Yahoo! からリンクが貼られることは相当そのサイトの内容がよくなければならないから、簡単なことではなく、結果的に PageRank を簡単に上げることは(たとえ企業であっても)難しいのである。

実際に PageRank を調べる(あくまでも目安; Google は本当の PageRank を公開していない)ページを作ってみたので、試しに以下のページにアクセスして、お気に入りのサイトの URL を入れてみて欲しい(入力欄は、下記リンク先ページの終わりにある)。ここで表示される数値は 0~10 であり、10 が最も高い数値である。

https://perltips.twinkle.cc/google/pagerank.php

この PageRank の技術は、Google が Google たるゆえの根幹をなす技術である。Google の世界ではとにかく 「リンクされることによってそのサイトの価値が決まる」 と考えて欲しい。

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I18N

ソフトウェアの世界で、I18N という言葉を見かけることがある。これは何だろう?

I18N = InternationalizatioN

である。英語の意味は「国際化」。ソフトウェアを各国語対応にすることを意味する。最初の I と最後の N の間にアルファベットが 18 個あることから I18N または i18n と書くらしい。

では

L10N は?

L10N = LocalizatioN

これも I18N と似たような意味で使われる。

それでは M17N は?

M17N = MultilingualizatioN

で、他言語化、I18N = L10N = M17N である。

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iPod 革命 (2)

今起こっていること、それは iPod 革命。もうイマサラ感アリだけどきちんと書いておかなければなりません。でもなんで書くの遅れたんだろ?理由は

  1. 私自身が歳をとってしまい、もはや敏感でなくなった。
  2. 変化のスピードが早過ぎた。
  3. iPod を私自身、バカにしていた。
  4. iTunes を触ったときの感動をここに書かないまま今まで来てしまった。
  1. はね、もう仕方ない。率直に認めます。
  2. は、ホント勢いはすごかった。気がついたら iPod 一色になっていた。
  3. バカにしていた私だが我が家には相方の英会話練習用の Shuffle と iPod 20GB(これは iMac G5 を買ったらオマケで付いてきたようなもの)の、すでに 2 台がある。
  4. これはね、私は Mac ユーザーなのでウィンドウズな人たちよりも iTunes をダウンロードして触った時期は早かったわけ。それが 2001/10。このころは Mac ユーザーになりたてだった (私がウィンドウズから Mac に移行したのが 2001/07) 。iTunes を触ったとき、そのときの感動は今でも忘れない。

ではなぜこのブログに書かなかったのか?いや、書こうと思ったことは思っていた(後からならなんとでもいえますね。ゴメンナサイでも本当なの)。とにかく、そのとき思ったのは 「すごすぎる」 だった。アップルはなんでこんなすごいソフトを作ったのだろう?そして 「すごすぎる」 という印象は、iTunes というよりも iTunes Music Store を見たときだった。ソフトをタダでダウンロードしたら、オンラインショッピングサイトの入り口になっている。

未来の音楽(販売)とは、こういうものなのか、と思った。なぜ?だって、普通の IE とかのブラウザで音楽買うんじゃないんですよ?私はずっと未来の音楽はブラウザから音楽サイトを通じて買うのかと思っていた。おそらく、iTunes Music Store もウェブの技術(HTML 等)で作られているのだろうけど、なにしろそれはブラウザではなくて入り口が専用ソフトなのだ。その当時にそれがすんなりと私の脳ミソに受け入れられるはずがなかった。

要は 「2001/01 当時、iPod + iTunes、そのソフトとビジネスモデルはできすぎていて」 私には理解不能だったのだね。

以下、https://arigato-ipod.com/collection-history.html より無断転載

「iPod の歴史」

  • 2001年
    • 1月:iTunes発表
    • 10月:iPod、iTunes 2 発表
    • 11月:iPod日本で発売
  • 2002年
    • 3月:iPod 10GBモデル発表
    • 7月:第2世代iPod発表(Windows対応)/iTunes 3発表
  • 2003年
    • 4月:第3世代iPod(10/15/30GB)発表/米国でミュージックストア開始
    • 9月:第3世代iPodの新ラインナップ(10/20/40GB)
    • 10月:Windows版iTunes配布
  • 2004年
    • 1月:iPod mini発表/第3世代iPodの新ラインナップ(15/20/40GB)
    • 7月:第4世代iPod(20/40GB)発表/iPod mini日本で発売
    • 10月:iPod photo(40/60GB)発表/U2版iPod(20GB)発表
  • 2005年
    • 1月;iPod shuffle発表
    • 2月:第2世代iPod mini(4/6GB)発表/iPod photoの新ラインナップ(30/60GB)
    • 6月:iPodとiPod photoシリーズを統合(20/60GB、U2版20GB)
    • 8月:日本でミュージックストア開始
    • 9月:iPod nano発表/iTunes 5配布
    • 10月:第5世代iPod発表/iTunes 6配布
  • 2006年
    • 2月:iPod nano 1GBモデル新発売/iPod shuffle値下げ
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オリエント工業

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  ラブドールとはいわゆる 「ダッチワイフ」 のことであるが、これを作ってるのがオリエント工業という会社である。

  https://www.orient-doll.com/

  その昔、タモリ倶楽部かトゥナイトでこの会社が作っているラブドールを 「本物の人間の肌の感触そっくり」 と紹介していたので、そのときに知ってそのままになっていたが、最近この会社の HP にたどりついた。全体的にラブドールは小倉優子似であるような気がするが、それは置いておいてw、写真で見る限りは随分気合いの入ったラブドールと言えるだろう。価格も、一体数十万円と、これを趣味で買うには随分勇気のいる挑戦的なプライシングだ(だからレンタルとかあるらしい。 3 ヶ月くらい前?に、このレンタルの人形を盗んだという事件を asahi.com で見た気がする)。

  さて、この HP には 「オリエント工業の歴史」 というページがある。普通の企業の HP であれば、こんなタイトルのページは調べものでもない限り決してみないものだが、逆にこのオリエント工業の会社の性格からいって、なぜに自社の歴史まで用意されているのか、興味が沸き見てみると、驚くべき事実が書いてあった。

以下、https://www.orient-doll.com/news/25thevent/history.htm

より無断転載

●オリエント工業と土屋日出夫氏

 オリエント工業創設者の土屋日出夫氏は1944年生まれの60歳。

 若き日の土屋氏は横浜から上京し、知人の経営するアダルトショップの手伝いをし、やがて独立して自らアダルトショップを経営する。

 そこで、当時のラブドール(ダッチワイフ)ユーザーの多くが、脚などに障害を持っていたり、奥さんに先立たれて充実した性生活を送れない人たちであることを初めて知る。

 そのことに衝撃を覚えた土屋氏は、そんな人たちの心の悩みを解決できたならと意を決し、1979年、東京・上野に特殊ボディー専門メーカーとしてオリエント工業を設立した。

 当時のラブドールのほとんどは、空気を入れて膨らます稚拙なビニール人形のため、空気が漏れたり破裂することが後を絶たなかった。

 その度にユーザーは新品を買う必要が生じていた。土屋氏はそんな不具合を改良し、ビニールとは違う弾力のあるラブドールを開発・製造するに至った。

 その結果、ユーザーからは驚くほどの反響を得たが、より女性の肉感に近くするなどの改善を加えていき、オリエント工業は、他のメーカーの追随を許さない日本一のドールーメーカーに成長した。

 それは土屋氏の柔軟な発想と、新しい技術を積極的に取り入れては失敗と成功を繰り返す試行錯誤の連続から、必然的に生まれた結果かもしれない。

 その消えることのない情熱は「ユーザーのため」という初心を常に持ち続けた頑固さがあったからだ。それを裏付けるかのように、設立当初から現在に至るまで、オリエント工業製のラブドールには、身体障害者割引が設定されている。

 完結することを知らずに進化するオリエント工業製のラブドール。その新作を待ち侘びるユーザーは増加の一途を止まない。

  そういうことなのだ。アダルトの分野ではあるが、この会社の社長、彼にはビジョンがあったのだ。実は、最初は心の中でバカにしていた。一般的には、ダッチワイフを使うなんて、モテないヤツか、変態か、みたいに思うのが妥当なセンだろう。ところが、この会社のいきさつを知って考えが改まった。むしろ社長の考え方に尊敬の念すら覚える。もちろん、ここに書かれているいきさつは美談もしくは後付けである可能性もある。しかしやはり、仕事に情熱や将来像が描けなければ、写真で見る限り素晴らしいと思えるラブドールは作れないと思うのだ。こんな人形を作れるのは世界中探しても日本人くらいなものだと思うが、何らかのバックグラウンド、ビジョンがないと、確実に 「革新 (innovation)」または 「進化 (evolution)」 をもたらすことはないと思う。

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  さて、なぜこのページにたどりついたかタネを明かそう。うちの子どもたちにも必ず思春期はやってくる。知能が低いから、他人にあまり興味を示さない(?いや、ひとりはかなり社交的ではある)といって、異性にも興味示さないとは限らない。では他の家庭の場合はどうしていたかというと、昔は(今も?)去勢するケースもあった(ある)ようだ。あと数年で思春期を迎える。そしてあと 10 年程度で成人になる。私にとっては避けて通れない、今から考えておかなければならない問題なのだ(渡米後の出版だから私は知らないし読んだことはない が、 「セックスボランティア」 河合香織著 (2004/06/20) というも、話題になったのだろうか? 「セックスボランティア」 でググってみよう)。

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可能性

  2005/07 の中頃に仕事で、出向先のマネージャから、「こういうのを作ってくれ」 システムのプロトタイプ開発とオーダーが来た。

  期限は 2005/07 末。具体的には、「Windows XP で動作する無線 LAN の DLL を作る」 というものだった。これを読んでいる人は何のことかさっぱりわからないだろうが、それを使うとウィンドウズの動作している PC が無線 LAN のネットワークに接続できるようになるということだ。正直、この仕事はきつかった。オーダーを受けた時点では、自分には*できない*と思った。本気でそう思った。

  例えていうなら、事務所で設計図ばかり書いていた建築家が、上司から 「君が設計したものの家を実際に建てて来い」 という命令だ。建築家は、ペンや定規の扱いはうまいが、釘やトンカチやカンナを使いこなす熟練した大工までには至らないだろうという容易に想像はつくだろう。IT の世界でもそれと同様に、システムエンジニアといえばまさに建築の世界では建築家もしくは現場監督にあたり、プログラマは大工である。だから、出向元のマネージャー、日本側にも、「私の技術・スキルではこの仕事はできない」 と伝えた。

  しかし、日本側の出向元の上司(私には日米それぞれ1人ずつ、計 2 人いる)の反応は、「うーんそれだったら、それが作れるプログラマ(大工)を一応探してみる」 というものだった。日本側で身近なところにこの仕事が完遂できる社員がいないことも私は知っていた。

  一方でアメリカ側の上司に相談すると 「言ってることはわかったけど、できる人を探している間に君ができちゃうんじゃない?」

  冗談ではない。一応私もプログラミングもできるとはいえ、ウィンドウズのプログラミングの経験は私には皆無だし、加えてプログラミングができたとしても今回の仕事はただでさえ超ハイレベルなのだ。自分でも限界を感じている。今の勤めてきて今まで自分でタオルを投げたことはなく、割と困難な仕事でも自己解決してきたものの、本当にできないと思った。入社して 10 年以上経つが、これがおそらく私にとっては最大の危機であっただろう。アメリカ側上司はこうも言った

 「できちゃうんじゃないのー?基本的に問題解決能力の高い人が選ばれてアメリカに来るんだと思っている」

  もう、助けは求められないと思った。出向先は日本の会社の子会社の位置付けだが、日本の本社とはあまり関係はなく、完全にアメリカの会社であり、そこに1人送られて、不可能な仕事を命令され、悩んでも誰も助けてくれない。でも、やるしかない状況。実はここまでの自分の勝算は 5 分 5 分だった。

  結果は、なんと7末を迎える前に自分でできてしまった。結果的に周囲の期待通りになってしまっているのだが、自分自身では、このレベルは自分の能力・スキル以上の仕事であったことは間違いない。自分でもこれには驚いた。やればできるんだな、と。この仕事を乗り越えたら、すべての仕事は簡単に思えてしょうがない。今現在も、ハイレベルな仕事の状況は続いているが、何かの歌の歌詞ではないが、「もう怖くはない。」

  さて、7月末までに完遂できた成功方法を、自分なりに分析してみたが、以下の通りである。非常事態になると、人間強いもので、それができるように、何かの方法を思いつくのかも知れない。

  1. To Do (やるべきリスト) の作成。しかし、これは日々の仕事でも私は自分でつけているので、今回が特別というわけではない。
  2. 普段と違うのは、To Do の単なる「リスト」 ではなく、タスク (作業) の 「表(マトリックス)」 にしたこと。タスクをマトリックスに配置し、縦軸に To Do、そして横軸に1つの To Do における細分化したタスクを記入して行った。つまり、1 つの 「仕事」 を細かい「タスク」に分解した。できるだけ細分化した。
  3. そして、今までにできたタスクは緑色、残項目は赤にセルの色を塗った。完了したタスクの (Excel の) セルには、日付を入れた。こうすることによって、「あとどのくらいで完成」 というのが、一目でわかる。これは、モチベーションの維持に役立つ。
  4. この表は毎日更新し、作業日報の意味を兼ねて出向先のマネージャならびに日米の上司に*毎日*メールした。こうすることによって、自分を追い込んだ。非常事態のときは「報・連・相(報告連絡相談)」が大切である。できるだけ情報を公開するという意味もあった。

  かくして、自己管理できれば、可能性を超えることができるのだと実感した。実は、この方法は、中学生のときにやっていた方法にほかならなかった。それはいつかこのブログに投稿するとしよう。

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